↑三条通りをゆく260型浜大津ゆき準急。御陵までは通過し、路面停留所は80型普通が担当した。1980年頃。

プワ~ン。
三条通りに260型電車の大きな警笛が何度も響く。響いても右折のクルマは退いてくれない。やっとのことで三条到着。本線乗り換え客がどっと降りる。二両編成の電車はいつも混雑していた。
折り返し浜大津行きに。

   ↑平安神宮の鳥居をバックに普通80型が神宮道交差点をゆく。

普通は下校時間にはもっと混む。80型のモノコックボディーが満タンではち切れそうだ。大変なのは車掌である。

    ↑蹴上の電停を通過する片扉の初期の260型。

    ↑蹴上を出ると専用軌道になり九条山を越える。66.7パーミルの急勾配にツリカケ音を響かせて。特急色からグリーンの濃淡に塗色が替わりはじめた。

蹴上でいったん路面はお仕舞いになって専用軌道に。右手に浄水場が広がる。しかし、勾配は急で66.7パーミルの表示が。
しかし、この先に京津線の最大の難所が控えるのだ。
九条山を越えた所で再度路面に出るのだが。夕刻はなかなか出られないことも。この先の日ノ岡電停の交差点を先頭に右折のクルマが大渋滞し路面線路を塞いでしまっているのだ。
勧修寺方面へ向かう道路で広くはないが交通量は非常に多い。もちろん西行きの直進車もなかなか切れないから右折ははかどらない。
ここで浜大津ゆきは身動きが取れなくなる。

京阪としても対策は講じる。交通整理員を日ノ岡交差点に派遣するのだ。西行きの直進車に可能な限り譲ってもらって右折車をさばこうとするしか術がない。警官でないから神経をすり減らす業務でもある。

後に地下鉄東西線が走るようになり、京津線は御陵まで乗り入れることになった。
運賃体系など諸々な点で京阪には不利になるようにも感じられた。乗客の流れでも影響は受けたようだ。
しかし、京阪にとってはこの区間の路面運行から解放されたことは大きいと聞いた。日ノ岡の負担がよほど堪えていたようだ。