久方ぶりの道南(下)

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7月28日(日)、目覚めると細かい雨が降っていた。それでも、撮影可能時間帯に1往復しかない森・長万部間の海沿いを走るヨンマルを撮るべく5時半に宿を出た。向かったのは前日に続き落部・野田生間の有名お立ち台。雨は降ったり止んだり、霧が出たり消えたりと目まぐるしい。それでもなんとか撮影できた。その後は目星をつけていた地点を中心にロケハンするが、ここといった場所はなく、結局は森近くの海沿いで返しのヨンマルを撮影した。

このヨンマルの森での停車時間を利用して、姫川(信)ー駒ヶ岳に先回りして撮影した。撮影後、赤井川・森間で撮影適地を探したが、見つからなかったので、元の場所に戻って腰を据えて撮ることにした。雨はほぼ止んだが、湿度が高く蒸し蒸しする。なので、ヨンマルや北斗が来るとき以外は車の中で涼んでいると、DF200貨物が地響きを立てて通り過ぎていった。ここに限らず、今回は貨物は「見る鉄」になってしまった。

↓前日に続けてやってきた落部のお立ち台。ヨンマルが来る頃には霧が晴れてしまったが、こんな天気ならば霧が出ていた方がよほどマシである。(落部ー野田生にて)

↓長万部からの返しのヨンマルが森駅構内に差しかかるあたりで撮影した。(石谷(信)ー森)

↓晴れていれば駒ヶ岳を入れて撮れる場所で撮ろうとしたが、この日は駒ヶ岳が見えなかったので、平凡ではあるが踏切に三脚を据え、やってくる列車を次々と撮った。(駒ヶ岳ー姫川(信)にて)

昼食にセイコーマートのカツ丼を食べながら、次はどこで撮ろうか考えた末、仁山駅に行ってみることにした。時間があるので、距離は長くなるが砂原線に沿ったルートを辿った。その昔『北辺の機関車たち』という写真集で駒ヶ岳をバックに走るD52の写真を見たことがある。そのような写真が撮れないものか淡い望みをかけてロケハンしてみた。しかし、現実は木々が成長して線路を望む場所は全くといってよいほどなかった。写真集から半世紀以上が経っているので、当然といえば当然だ。

ロケハンしながらではあるが、さほど時間を要さずに仁山に着いた。ここはかつては信号場で、スイッチバックもあったと思うが、今はそのような施設などない。だが、そういう歴史を反映してか渋い佇まいである。

ここでキハ150の2841Dとキハ40の4834Dの交換シーンを撮影した。列車がくる頃になると、どこからともなく何人かの若い同業者が現れたのは意外だった。

さて、まだ空港に戻るにはまだ早すぎるので、最後に大沼駅に行ってみることにした。1980年12月以来である。着いてビックリ、寂れっぷりが半端ない。それでも昔を偲びつつ、当駅止まりの4836Dとやや遅れて到着した5884Dの並びを撮影して、撮影日程を終えた。

↓仁山駅で交換する2841D(左)と4834D(右)。下り列車はホーム先端に停車する。

↑↓仁山駅点景

↓大沼駅にて。当駅止まりの4836Dが16:44に3番線に着いてほどなくすると、定刻17:03着の函館行5884Dが1番線に入線してくる。

函館空港に向かっていると、日が差してきた。今更なので苦笑せざるを得ない。そして、空港に着いてびっくり仰天の事件。荷物検査でスーツケースに入れていたエアスプレー(万が一撮像素子にホコリがついてしまったときに吹き飛ばす応急用)とクマ避けスプレーがいずれも機内持ち込みはもちろん預けるのも不可との御託宣。今までそんなこと言われたことがなかったのは、単にラッキーだったということなのか。規則としてはそのとおりなのかもしれないが、杓子定規すぎないか。とにかく釈然としない思いが残った。

(終)

↓函館空港で祝勝会ならぬ反省会。帰りの飛行機が空いていて、3人がけにひとりというのがせめての慰めだった。