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北海道 鉄道残照~失われた鉄道の遺産あれこれ
その29 北海道の国鉄一般形気動車〝苗穂色〟の謎
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
ことしからnoteをはじめ、「北海道の廃線跡探訪」なる、国鉄地方交通線の廃線跡を主にした記事を投稿しています。
ここでは車輌や遺構のことなど、つれづれなるまま、書いていこうと思います。個人的主観で、なるべく有名でなさそうなものを・・・
今回は、国鉄末期は別として厳格に遵守されていたはずの、国鉄形気動車の塗色の話です。北海道という一地域、それも一工場での超マイナーな話題ですが。
2.〝苗穂色〟?の話題
学生時代、気動車好きの友人たちのあいだで、札幌圏の一般形気動車の塗装はおかしいのではという話がありました。
幕板と腰板(窓の上下)は朱色4号ではなく、急行形の赤11号ではないか、朱色4号にしては赤すぎるということです。
旭川や釧路など、ほかの地域の塗色とは明らかに差がありました。
仲間うちでは〝苗穂色〟と勝手に名づけ、苗穂工場でまちがって塗っているのではないかと、冗談を言っていたものですが、国鉄指定色を自社工場がとりちがえるはずはなく、変だなあで終わっていました。
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札幌 1979年1月撮影
色の記憶というのは、はっきり残せるものではないし、ほんとうにそうなのかと、長年不思議に思っていました。
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3.『国鉄形車両の記録 キハ17系気動車』の「北海道に居たキハ17系あれこれ」
近刊の鉄道ピクトリアル別冊『国鉄形車両の記録 キハ17系気動車』に、小薪智徳さんというかたが、「北海道に居たキハ17系あれこれ」という記事を書かれています。
ずいぶん細かいことまで調べられたものだと感心する内容です。
内容をご紹介すると、各種改造などについて:1.耐寒・耐雪関係、2.車両火災・安全対策関係、3.機能向上関係、4.老朽対策関係、5.その他
となっています。
4.老朽対策関係に、「車体外部塗色のコストダウン対応-1970(昭和45)年からの一時期-」という項目があります。
(前略)一般形ではキハ21形やキハ22形の2車種の幕板部の朱色4号と、急行形(キハ56系)窓まわりの赤11号は、まとめて赤11号で塗装した.(中略)
施工は、1970(昭和45)年5月以降に苗穂工場へ定期検査入場となった車両から当面の間だったようで、残念ながら施工車号やその後の経過については不明である。
記事によると、苗穂工場の入場したすべての気動車に施工されたわけでもないらしい。
国鉄の経費節減策だったそうですが、あまり効果がなかったのか、一時期の試験で終わったようです。
ずっと続けられていれば、とっくに気づかれたはずだし、話題にもなっていたでしょうし。
〝苗穂色〟は実在! しかも、まちがって塗っていたのではなく、確信犯でした!
先日、気動車好きの友人のひとりと会ったとき、彼もこの記事を読んでいたので、この〝苗穂色〟の話題で盛り上がりました。それほど歴然とした差ではないから、朱色と赤色を混ぜていたのではとも言っていましたが。
4.写真で見る〝苗穂色〟
写真で〝苗穂色〟がはっきりわかるかというと、カラーフィルムの色調もあり、今見ると、ほかの工場で塗装された気動車とあまり区別がつきません。
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天候などの条件やカメラの露出などでも違ってくるでしょうし、さらに赤色は褪色がはげしいし、微妙です。
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いわれてみれば、そうかもしれないといったところです。
雑誌などにあるカラー写真を見ても、よくわかりません。
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キハ21・22形など一般形気動車とキハ56系急行形が併結されていた列車の写真をみても、赤色部分が同じ色のような、そうでないような・・・
自分たちが気づいたころが、70年代末期だったので、すでにほとんどが正式色に塗り替えられていたのかもしれません。
5.〝釧路色〟はいかに
同じころ、仲間うちでは〝釧路色〟というのもあって、これはDD51形の白帯や灰色が、ハゲたり流れたりしたように見えたものです。
釧路工場は水性塗料を使っているのかと、これまた軽口をたたいていましたが、どうなのでしょう。
今もなぞのままです。こちらもいつか解明されるときがあるのかどうか。
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なんだかおかしいと気づいてから、半世紀近くたってからはじめて真相がわかりました。
自分には手に負えない、長年の「謎」が解明されたというのは、鉄道にかぎらず、なんにしろうれしく、ありがたいことです。
この記事を書かれた、小薪さんにお礼を申しあげます。
今回はこのへんで。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
ご意見・ご感想、そしてご要望など、どうぞお寄せください。