大宮駅6番線に停車中の181系特急「とき」です。
ボンネットの吸気口とタイフォン(警笛)の形状から、クハ181-109であることがわかります。
撮影:1982年7月
ところで、「駅名標」に注目してみてください。
国鉄書体の標準的な案内表示ですが、よく見ると、上野方面の次駅が「うらわ(浦和)」ではなく「あかばね(赤羽)」になっています。
当時の高崎線・東北線(現:宇都宮線)は、「さいたま新都心駅」が無いことは当然なのですが、「浦和駅」は存在していました。ただ、当時「浦和駅」は冷遇されていて、中距離電車の各駅停車ですら朝夕の一部の列車しか停車しませんでした。
県庁所在地の駅であるにもかかわらず、急行列車や特急列車のみならず各駅停車の列車すら止まらない駅として「名を馳せた」こともありました。