1998年夏 四国初乗り鉄旅の思い出 その1 | あさかぜ1号 博多行
2024-07-25 06:33:07

1998年夏 四国初乗り鉄旅の思い出 その1

テーマ:鉄活動日記 思い出編

旅の思い出を語りたい

 

 

 

 

 

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過去の乗り鉄の思い出の振り返りシリーズ、今回からは今から26年前の1998年8月に四国へ鉄道旅に出かけた時の思い出を書いていきたいと思います。
何しろ今から25年以上前の旅なので記憶が薄れてしまっている部分も多く、当時の旅の記録や時刻表も残っていないので、細かな車両のデータや列車の時刻はあまりかけないかと思います。
このため、おそらく記憶違いや思い違い等があちこちに出てくるかと思われますが、その点どうかお許しください。

この旅の目的は、その約1か月前の1998年7月10日にデビューした285系「サンライズエクスプレス」に初乗車することと、それを機会にまだ上陸したことのなかった四国の鉄道に乗りまくろうということでした。
この時の旅で利用したきっぷは、当時発売されていた周遊きっぷ「四国ゾーン」で、これならJR四国全線のほか、第三セクターの阿佐海岸鉄道と土佐くろしお鉄道にも乗車でき、しかも周遊エリア内では特急の普通車自由席も利用可能なのが魅力で、できる限り多くの路線に乗りたいこの旅にはぴったりの切符でした。

8月某日(具体的な日付は忘れてしまいましたが)、四国への初の乗り鉄旅に出発しました。
四国への足はもちろん高松行「サンライズ瀬戸」です。
「サンライズ」の発射約1時間前に東京駅に到着し、21:10に発車するブルートレイン「出雲」の発車を見届けたりしながら「サンライズ」入線を待ちました。
21:50にいよいよ品川から「サンライズ」が入線。ドアが開くとさっそく乗り込みます。
この時利用したのは、号車は覚えていませんが285系の車内でも最も室数の多い1人用B個室「シングル」の2階の個室でした。
個室に入ってみると写真で見るよりも広く感じ、2階室ということもあり窮屈な感じもなく快適に過ごせそうでした。
「サンライズ」は定刻22:00に東京駅を発車し、四国遠征旅がスタートしました。
熱海を発車したのかどうかというタイミングで就寝し、目が覚めると外は明るくなりかけていました。
時刻は確か4:40頃だったと思います。列車の位置としては大阪駅での運転停車の後発車したところのようで、個室の窓から見える景色も見覚えのあるものでしたが、気になるのはなぜか速度があまり出ずトロトロと進んでいること。
そしてそのうち「サンライズ」は、本来なら通過するはずの神戸駅で止まってしまいました。
その後、同駅の電車線ホームに停まっていた京都行と西明石行のそれぞれの始発電車(どちらも201系の普通電車)がいずれも定刻に発車していきましたが、「サンライズ」は依然止まったまま。
それから少したって車内放送があり、前日の夕方に山陽線網干駅構内で事故(細かな原因は覚えていませんが)があり、その影響で姫路以西の区間で運転見合わせとなり、このため「サンライズ」も抑止されているということが分かりました。
結局「サンライズ」が神戸駅を発車したのは6:30過ぎ頃だったと思います。
その後も先行列車につかえたのか数回の短い抑止がありましたが、遅延は予想していたほどには増えることはなく、「サンライズ瀬戸」は約2時間遅れで高松駅に到着しました。
この時の網干駅の事故では、東京・関西発着の九州方面のブルトレの中には運休や途中駅での運転打ち切りの憂き目にあった列車もあったようですが、「サンライズ」は「瀬戸」「出雲」のいずれも遅れながらも何とか終点まで運転されました。もちろん何らかの事故による遅延なので好ましいことではありませんが、考えようによっては真新しい「シングル」の個室に通常より2時間長く滞在できた?ともいえ、これはこれでちょっと得した部分もあるかもしれません。

せっかくの初「サンライズ」、そして初の四国への鉄道旅にもかかわらず、初めからドタバタなスタートになってしまいましたが、次回からはいよいよ本格的な四国鉄道旅が始まります。

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