・石勝線沿いを新夕張まで進みます。穂別インターチェンジ出口からのスタートです。
◆長和小中学校(穂別町長和)
道東自動車道むかわ穂別インターチェンジの所です。グランド跡周辺が料金所になっています。
校舎跡、集合煙突が残り、焦げたような木材が。きちんと解体工事が行われていないような感じです。
料金所の北側に体育館が見えます。
新登川への道の途中に見える校門。グランド南部を道道1165号インター線が通ったようです。
校門の東に小学校と部落の開基70周年記念碑があります。一度壊れたようで、修復してあります。横の石碑は碑文です。奥に料金所が見えます。
長和小学校は、1907年奥穂別簡易教育所から奥穂別教育所。1917年に奥穂別尋常小学校、1924年に上穂別尋常小学校、1941年に長和国民学校と改称。1974年穂別ダム地区の住民移転。1975年閉校式。
長和中学校は、1947年穂別中学校長和分校として開校。1956年に長和中学校。1968年稲里中学校と統合しました。
●東オサワ信号場(穂別町長和)
穂別インターの南で道道から東の道に入り、約4.5km。道路は舗装されています。西側のスノーシェルター付近からの信号場。
高い所にあります。西側にある通行禁止の階段。
東側の道から。1981年石勝線の信号場として開業しました。清風山信号場から7.7km。
2011年、列車内からの東オサワ信号場です。
東オサワ信号場から学校跡まではさらに約1km、穂別川の北です。碑が見えてきます。
碑の横には建物の基礎のようなものがあります。
新登川小学校は、1946年長和国民学校新登川分校として開校。1947年新登川国民学校。1948年校舎完成。1956年校舎火災。1963年当地に新校舎落成か。1970年閉校。
新登川中学校は、1948年穂別中学校長和分校新登川学級として開校。1949年に穂別中学校新登川分校から新登川中学校になる。1957年長和中学校と統合しました。
新登川炭鉱は1946年開坑、1954年に閉山しました。
焼失した校舎は、穂別川の南の高台で、現・新登川トンネルの上あたりのようです。その東に住宅地がありました。この写真の方角ですが、どのあたりかよくわかりません。戦後の移転ですが、訪ねるのは閉校時の場所だけです。
振り返ると東オサワ信号場方面が見えます。