第3大和川橋梁を渡る大和路線の221系 と帰りに乗った201系 | まだだ、まだおわらんよ・・・
2024年06月28日

第3大和川橋梁を渡る大和路線の221系 と帰りに乗った201系

テーマ:鉄道・JR

 

大和川が見えてきたところで、

 

ちょうど201系が通りかかり、手前を221系がすり抜けるかたちで離合。

インフラがいっぱい写り込む状況でしたがこの日は河内堅上駅以来約2時間ぶりの再会だったのでとりあえず写真に収めます。

 

その第3橋梁の手前に写っていたのが大正橋、

 

大和川にはずっと下流の平野区と松原市の間に明治橋があるのを知っていたのでちょっと気になって調べて見たら奈良に明治・大正・昭和、大阪にも明治・大正がありました。

残念ながら平成橋と令和橋は見つかりませんでした。

 

第3大和川橋梁

 

この日第6からはじまって4本目の大和川橋梁。

地すべり回避のためいったん左岸にうつり再び右岸に戻るために先の亀の瀬の第4大和川橋梁とセットで架けられた橋。

左右のトラスの形状が違うのは河川改修のために向かって左の四角い方だけ元のプレートガーダーから付け替えられたため。

 

上り221系

 

下り221系後追い、

 

ここで雲行きが怪しくなってきたので早めに切り上げてそのまま駅まで急ぎます。

ここで磐瀬の杜と書かれた石碑が、

 

小さな広場になっていて奥の方を見ると歌碑があります、

 

鏡王女(かがみのおおきみ)の万葉歌碑、

神奈備の磐瀬の杜の喚子鳥 いたくな鳴きそ 吾が恋まさる

喚子鳥とは「かっこう」のこと、

鏡王女は飛鳥時代の歌人で藤原(中臣)鎌足の正妻、その夫の病気の回復祈願のために建立したのが現在の興福寺と伝わっています。

 

三郷駅に到着、

 

電車の中から見たり、この駅の前の道も何度も通っているのですがこの駅のホームに来たのは初めて、

 

反対側のホームを221系が通過、

 

到着したのは201系、以前環状線のスタンプラリーの時もそうでしたが、この後日にも201が来て乗車しています。

なぜか乗車時には遭遇率が高い201系。

 

お昼で空いていて、近いうちにいなくなる電車なので車内もじっくり見ておきます。

 

窓からはさっきの第3橋梁から、

 

国道25号線と交差、

 

外から見たらこの位置、車両も同じ201系なのでちょうどよかった。

 

河内堅上に停車、

 

外から見たらこの位置、

 

2駅なのであっという間に到着、徒歩だとあれだけかかったのに当たり前ですが電車は速い、同じ区間を自分の足で行くとありがたさを実感できます。

 

乗ってきたウグイス色の201系を見送ります。

 

高井田駅に到着、

 

こちらの駅のロータリーにも石碑が、

歴史の道 龍田越え 高井田横穴群の文字が刻まれています。

左のマークはメルセデスベンツではなく柏原市の市章。

 

最初に第6橋梁に行く途中の道の北側にあるそうで現在までに162基の横穴が発見されているそうです。

 

ベンツとは協賛していませんがフジサンケイグループとはしていたようです。

街角の再発見、大阪モニュメント計画ということでこれと同じモニュメントが府内各所に設置されているそうです。

 

スタート地点に戻ってきました、

 

高井田駅から三郷駅まで歩いた距離は6.2キロ、

行ったり戻ったりなどを入れるとここにプラス500mくらいになると思われます。

 

高井田駅9:34 第6橋梁9:50~10:13 第5橋梁10:27~10:39 

第4橋梁11:16~12:16 第3橋梁12:42~12:49 三郷駅12:53

約3時間20分の行程。

 

↑注意:図中の「特急まほろば」は地すべり資料室に行った別の日に撮影しているため上記の時間には来ません、10:44頃に第4橋梁を通過します↑

 

撮影時間を差し引いて移動時間だけなら1時間40分くらい、それを今回も5回にわたり引っ張ってしまいましたが最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

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