第5大和川橋梁を過ぎて少し行くと、右からの道と合流します。
右に行くと青谷遺跡、直進すると奈良街道、現在の国道25号線に合流します。
この脇に入って行く細い道が龍田古道、こちらに進みます。
実はさっきの右の道も龍田古道で斜めに横切っているのですが、
道の太さが全然違うのでこちらはただの農道の進入口にしか見えません。
龍田古道は奈良時代に敷かれた平城宮と難波宮を結ぶ官道でこの辺りが丁度中間地点、青谷遺跡は天皇の仮宮(竹原井頓宮)があった場所とされています。
細い道に入るとまもなく線路を渡る細い橋に出ます。、
緑の中を緑の201系が駆け抜けていきます。
田畑の広がる長閑な風景を見ながらしばらく歩くと民家のあるところに出ます、
車の通行できる道と合流した先に、
駅が見えてきます。、
河内堅上駅に到着、
高井田駅から電車の駅間距離だと2.4キロですが歩いた距離はここまでで約3.2キロ、
ちなみにこの間の大和川下流側の鉄砲町からJR浅香が2.8キロだったのですでにその距離を越えています、今回はそこに勾配付き。
ここからも電車には乗らず、線路に沿ってそのまま進みます。
ちょうど駅から出た201系が追い越していきます。
ここに来てウグイス色の電車が続きます。
青谷踏切を渡ったところで、いったん少し逆方向に、
川向うの国道25号線との間に架かる弁天橋、
この橋から電車を写してみます。
こんな華奢な橋ですが車も通行可なので写真を撮る時は要注意です。
次の第4大和川橋梁が西側から見えるポイントなのですが、
季節がら緑が茂り過ぎているせいか車体が隠れてしまうのでここは諦めて次へ。
踏切まで戻ったところで221系、
前方に第4橋梁の特色である桁受けトラスが見えてきました。
橋を渡ってきた電車をガード下から見上げます、
そこからしばらく進むとようやく開けた場所に出ました。
ここまで来た道も龍田古道ですがこの先も左側が龍田古道の続きになります。
ここでいったん国道25号線と合流する右側の道に進みます。
こちらが上流側、
そしてこちらが下流側、右手奥に見えるガードレールの方角が歩いてきた道です。
その下方にひとつだけ目につく変わった形の岩が見えます。
亀の瀬の地名の由来ともされている巨石、亀岩(亀石)です。
昔の人にはこの亀岩が動くと地すべりが起こり、奈良は水没し大阪は鉄砲水が襲うと信じられていたそうです。
亀岩のせいではないですが、実際にこの辺りは古来幾度となく地すべりが発生しているエリアで、近代に入ってからも被災し関西本線が対岸にルート変更をしています。
この地すべりの話についてはまた次回以降に。
ところでこの大和川、河川法上では源流まで含めて全て「大和川」の表記なのですが、この辺りではかつて亀瀬川と呼ばれていたそうで、
さらに上流に行くと初瀬川など地域ごとに根差した呼び名があります。
初瀬川についてもまた次回以降に。
少し位置を変えて奥の方に目をやると、
先ほど下流の西側からも見えた特徴的な下桁トラス、
第4大和川橋梁を今度は上流側から臨みます。