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僕の退職ストーリー その1
5年ほど前に10年少々勤めた会社を退職したわけですが、そこにも沢山のストーリーがあります。今回はそれを振り返ってみたいと思います!
<退職に向けて動き出す…>
いつ頃から退職&独立を考えだしたか?というと、25歳の頃からでしょうか。この会社でずっと働き続けることに希望はないな…と感じ始めたのです。
確かに、1流大手企業で給与も安定、人並み以上の待遇ではあります。休日もそれなりにしっかりと確保されており、必ずしも希望通りの休みが確保できるわけでもないことを除けば、不満はないような環境ではあります。
しかし一方で、やり場のない窮屈さ、ストレスも感じているのも事実。年々求められることは多くなっていきます。もともと好きで始めた仕事ではあるものの、自分の中で選択肢が生まれる事件があったこともあり(これはまたどこかで気が向いたら書くかも)退職を考え始めます。
家族を犠牲にしながらとか、ギスギスした雰囲気を撒き散らしながら働き続けている上司の姿を見て、あまり幸せそうでないな…という風に感じていたのも一つです。
そのころから少しずつ会社だけではない世界にシフトを始めます。交流型のまちめぐりイベント・シャルソン(ソーシャルマラソン)を、地元岐阜で初めて主催。完全なる素人と言うこともあり、四苦八苦しながらであっても、協力してくれる仲間たちの力もあり、無事に開催することが出来ました。
その活動を通じて、僕の会社外での人脈が一気に広がっていきます。
もちろん上手くいくことばかりではなく、挫折もあったりしつつ、退職Xデーの2年ほど前には、「この数年内には退職⇒宿を始めたい!」と目標を固めていました。
とはいえ、僕一人では経験値がまだまだ浅い…物件候補の大野町内の古民家の片付けをチームで行いつつ、実際に運営となったら、どうなるんだろう??と漠然とした不安はまだ抱えながらの模索でした。
しかし、丁度そのタイミングで救世主?とも思える今のパートナー、エミポンと出会うのです。彼女は5年前からフリーとなり、さまざまなゲストハウスで働いてきたという経歴の持ち主。価値観、考え方や、未来の構想も共感できることが多く、まさに理想のパートナー。
一気に、人生を切り替える流れがやってきた…と感じる瞬間でもありました。
<退職の意向を伝える>
退職時期については次の「2月」かな…と考えました。それから逆算すると、3カ月ほど前には退職の意向を伝えることとします。
基本的に波風を立てないよう、それまでは退職のことは基本的に周囲には明かしていなかったのですが、(ただ匂わせ程度はしていたかな)見習いの時にお世話になり、その後も気に掛けていただいていた大先輩だけには、こっそりと伝えました。
少し驚いたのかもしれませんが、僕のビジョンを聞いて、このまま会社にいても窮屈だろうな…がんばれよ!と背中を押してくれました。
他には漏らす予定ではなかったのですが、直属上司との半年ごとの個人面談の時に、一瞬迷いながらも匂わせたら、退職の意を悟られ、まだこの話はココだけにしておくけれど、しっかり考えた結果なら反対しないよ!と言われる。
11月、えみポンへのプロポーズも成功し、もう駒を前に進めるのみ。
ある日、職場の現場長に直接話す機会を作ってもらい、退職の意向を伝えました。
この時点で退職願いを提出する訳ではないものの、3カ月前に伝えておけば、代替人員を手配するのにも余裕があるだろうという配慮もありました。(結局転属は特になかったのですが)
一応、周りにはこのことまだ言わない方がいいよ!と言われたのですが、いや、もう確定していることなので、明日にでもSNSで告知しようかと思っています!と笑顔で答える。
ちょっと驚いていたが、まあ僕の意志の固さはわかってくれたのだろう。
因みにこの時、現場長の部屋から出てきたのを見た後輩が、「センパイ~、なにやってんですか!」(なんかやらかして怒られたと思っているんやなw)とニヤニヤしながら聞いてくるので、「ん?退職するんよ~」とこちらも軽いノリで答えてやったら、「なに冗談言ってんですか~!」などとまともに聞きません。まあいいか、そのうちわかることだ。
案の定、僕の退職の噂が広まったところで、目を丸くして「センパイ、マジやったんすか!」などと言ってきたのだった。
<周りのさまざまな反応・・・>
現場長に退職の意を伝えた翌日、僕は一気にSNSに情報を大公開した。
・2月にJRを退職すること
・エミポンと結婚すること
・世界一周新婚旅行に出かけ、その後でゲストハウスを開業すること
一つ一つだけでも充分なインパクトなのに、1985年のバース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発に負けない凄まじい発表だ。
勿論職場の人も一部はSNSで繋がっていることもあり、その次の勤務の時には情報が広まっていた。
その反応は様々。
その中でもズッコケたのは、SNSでエミポンの出身大学を見てなのか、「逆玉の輿に成功して寿退社説」
いやいや、ちゃうがな!どこから広まったかは不明だが、恐らく伝わるうちに話が大きくなっていったのだろう。
旅館経営に乗り出すとかいう話もあったな…
ゲストハウスと旅館では全然違うのだけれど。
中には真剣に退職を思い直すよう説得してくれる先輩もいた。
とある日、飯でも食べよう!とサシで誘ってくれて、最近建てたらしい自分の持ち家(1人暮らしに丁度いいように設計された家だった)に招いてくれて、この会社に居れば、安定は間違いない。今ならまだ「気の迷いでした!!」で済むから、もう一回考え直したほうがいいのでは!と説いてくれた。
しかし僕は、そんな暮らしを続けたいわけでもないし、もっと自由な生活が出来たらなという思いで決意したのだ。そんなに簡単に揺らぐことはない。
またとある先輩は、独立するならしっかり稼いで!数年後にはベンツにでも乗って俺たちの前にあらわれるんだぞ!とも。
そんなに事業を拡大するような気持ちもないし、たとえそんなに稼いだとしても、多分他のこと(旅とか)に使うのだろう。目指している方向性は全然違う。
さまざまな周囲の反応も、ある意味客観視するとなかなか面白い。真剣に考えて話を聞いてくれる人も勿論いたし、面と向かってはこないものの、内心大変なことから逃げるだけなのだろうとバカにしているような人も恐らくいただろう。
退職表明からの3カ月は、やはりそれまでとは周囲の反応がガラリと変わった環境。それも楽しみながらの期間だった。
元々、後輩などが「もう会社キツイわ!転職したい!」などと軽口を叩いていたら、「いや、転職しても環境はもっとキツくなるだけや。それなら自分で商売することを考えろよ!」なんて言っていた。
どの程度本意が伝わったかは不明だが、それは真理だと思う。
仕事内容はキツイものとはいえ、休日日数や勤務時間、そして給与に関してはある程度保障されている。これよりも楽な仕事へ…と言ってもなかなか環境的に改善するのは難しいだろう。
ならば、自分がやりたいことをまずは見つける、または見つけるために仕事を手放す。というのが必要だと思う。