一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線旧型国電 2色共演31-2

1982/03/16 飯田線 豊橋、645M 伊那大島行(クモハ54129),845M 豊川行

 夕方の豊橋駅飯田線1番線と2番線。戦前車と80系が並ぶ。

左の80系は20分程度で到着の豊川行。しかし右の伊那大島行は4時間以上もかかる。

車両の設備などを考えたら、使い方が逆ではないかと乗客目線では感じてしまう。

80系投入から置換まで、普通電車は運用は決まっていたが双方が使用されていた。

 

 それそれの電車の行先表示は、駅の案内表示扱い、従って出発直前に外される。

この豊橋駅での案内手法は、自分が初めて豊橋でみた1975年では既に行われていた。

当時飯田線豊橋から行った方は皆見ているはず。洗礼儀式のような印象であった。

旧型国電置換後でも、119系でも少し異なるが同じように行われていた画像があり。

ただし、それもいつか廃止になったらしい。合理化の波は、少しずつ押し寄せてくる。

国鉄末期の状況をあらわした画像の1枚になってしまっていた。

 

 

  参考:写真で綴る 飯田線の旧型国電 増補版

     JTB時刻表1981/12