左の80系は20分程度で到着の豊川行。しかし右の伊那大島行は4時間以上もかかる。
車両の設備などを考えたら、使い方が逆ではないかと乗客目線では感じてしまう。
80系投入から置換まで、普通電車は運用は決まっていたが双方が使用されていた。
それそれの電車の行先表示は、駅の案内表示扱い、従って出発直前に外される。
この豊橋駅での案内手法は、自分が初めて豊橋でみた1975年では既に行われていた。
当時飯田線に豊橋から行った方は皆見ているはず。洗礼儀式のような印象であった。
旧型国電置換後でも、119系でも少し異なるが同じように行われていた画像があり。
ただし、それもいつか廃止になったらしい。合理化の波は、少しずつ押し寄せてくる。
国鉄末期の状況をあらわした画像の1枚になってしまっていた。
JTB時刻表1981/12