一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線旧型国電 2色共演 31-1

1982/03/16 飯田線 三河大野、1226M 豊橋行(クハ68420),1225M 辰野行

 1978年~1983年まで、飯田線の普通電車は戦前車と80系が半々で運用されていた。

 戦前車は3ドア車が多く、クモハ61のようなロングシート車も一部あり共通で使用。

青梅線のクモハ40と飯田線のクモハ61は車内設備は基本同じ、まさに通勤電車仕様。

 それに対して80系は、165系より冷房等で劣るとはいえ、車内は基本急行電車仕様。

この様な全く異なる車種が、同じように飯田線では普通電車として使用されていた。

 使う側、利用する側、それぞれ違和感とか使いやすい使いにくい等あったのでは?

ただ当時の国鉄の非電化区間では、キハ58や55とキハ35が一緒に連結での使用もあり。

思ったほどは問題にならなかったのかもしれない。

 

 上の画像は、15時過ぎの三河大野駅の下り側からの撮影。

左の横須賀色の戦前車も右の湘南色の80系も、この撮影の翌年には置換となっている。

それまで残り1年ほど、この時初めて青春18(のびのび)切符の使用を行なっていた。

お金に余裕がない学生には、それは天与の恵み、状態。国鉄さん、本当に感謝です。

結果、自分も周りも、ヘビーユーザーとなってしまっていた。

 

 

  参考:写真で綴る 飯田線の旧型国電 増補版

     JTB時刻表1981/12