本当の別れは、いつになるのだろう?
そんな不安感と危機感が、久々に身体を動かした。
その推進力は、さらに先へ。
13:33、伊東着。
1時間2分に及ぶ、伊豆急行線の旅は終わった。
幾度となく行われてきた乗務員交代は、スムーズに引き継がれていく。
後腐れや未練などなく、僅か1分ほどの停車で伊東を発車。
ここから先も、通り慣れた道。
時に睡魔に負けながら、かつて辿った線路を走っていく。
前までと違うのが、熱海で乗降ができないこと。
このあたりが、ストレート過ぎる列車名と列車設定目的の特殊性が垣間見える。
走り始めてから街並みはあちらこちらで変わり、走る電車もあちらこちらで変わった。
元号も昭和、平成、令和と変わった。
総理大臣は何人変わった?w
※代数で言うと32代、計21人
さまざまな世相を眺めながら、走り続けた。
それは、乗っていた人がいろいろあった日も。
定期運行が終わってからは、その走る回数は減った。
一方で、走る範囲は大幅に増えた。
この週末は、新潟まで団臨で遠征があったそうである。
しかし、残る185系はわずか12両まで減った。
今回乗ったB6編成と、新幹線リレー号由来の緑帯が復刻されたC1編成。
編成個々の由来を考えると、本来は塗装が逆じゃなかったのかとも思うが…
なんてことを考えながら、伊東から1時間25分。
1本前の定期「踊り子4号」なら熱海、湯河原、小田原、大船で客扱いして1時間20分。
しかも、熱海では修善寺からの編成と併結する時間を含めだから、いかにのんびり気味か。
4月13日14:59。
そんな淡々とした旅をついに終え、しっかり定刻で横浜駅8番線に到着した。
設定が設定だけに、往路同様レアな副本線での客扱いに。
かつての普通列車運用で、発着したことはあったのだろうか?
(根府川の中線には入っていたが)
往路の時ほどではなかったが、185系到着とともに再び賑わいが。
東京方に回ると、それはより顕著に。
毎回、見るたびに思う。
あんた方、定期運用終わるまで何してた?
ここにきてつくづく思う、日々の記録の重み。
身近であればあるほど、どれだけのスタンスでやれていたのか。
…だが、そんなしんみりしている暇は、実はほとんどなかった。
15:04。
到着からわずか5分で、あっさり回送。
まぁ、横浜のど真ん中でずっと停車していたら色々危険だよな。
それを考えたら仕方ないけど、あっという間に現実に引き戻された。
とりあえず今日現在、残り運転設定日は4回。
伊東発着が5月29日と6月12日。
伊豆急下田発着が5月18日と6月29日。
また足を運ぶかどうかは、現状では未定というしかない。
並行案件もあるし、そもそもこれまでJR線内を中心に記録は尽くしてきたから。
今回も懐かしい路線で、最後の気持ちでゆっくり堪能できたから満足である。
そして、これから記録に取り掛かる皆様へ。
とりあえずは、この先もご安全にとだけ言っておきたい。
…そして自分は、この4月、勢いに乗じてさらに記録を積み重ねていくことに。
Comming Soon!