今回は③1222Mのクモニ83103から。
どうも1222Mのクモニ83103の走行画像の良いものがないため、停止中の画像から。
上り第2エンド側の浜松工場入場記録位置や、二番目の乗務員ドアの縦手摺が特徴。
今回は荷物表記の位置について、まず、下記の1976年の画像との比較を実施。
クモニ83103の荷物表記の窓位置が、左奥側の下り第1エンド運転室側からみて、
1980年:2番目と7番目の窓下に荷物表記があり。
1976年:2番目と5番目の窓下に荷物表記があり。
明らかに、荷物表記の位置が異なっている。
同様にクモニ83101も異なっていたことは既述、以下再掲載になります。
自分が一番なじみがある1980年から1983年では3両とも表記位置で区別できていた。
しかし、時代をさかのぼると、どうなるのであろうか?
そこで、モユニ81(1950年製造)から過去の文献と腕の画像確認を実施。
以下参照ください。一部不明や推定もあります。間違っていたら今後修正いたします。
※上記は主な資料であり、上記以外にも画像確認ありです。
1950年新製後には、東海道線の下り先頭で使用、下り側運転室を主運転室として、
第1エンド、偶数車としたらしい。それの画像からは、表記は4か所見られる。
1/2窓下は郵便、3/4と5/6窓下は荷物、8番目の窓下にも表記があることがわかる。
しかし下り先頭側からの画像が多く、8番目の窓下の表記は読みにくく判別に苦労。
「魅惑の国鉄カラー湘南色」で、上り第2エンド側からの画像あり、しかし少し微妙。
どうも車掌、と読めそう? ただし間違っていたら申し訳ございません。
なお同じ資料でイラストがあり、そこには8番目の窓下は荷物表記でした。
1961年の更新で、8番目の窓下の表記は消去されたようで、結局3か所になる。
1968年飯田線転属直後はクモユニとして使用で、表記は3か所のまま。
1969年のクモニ改造時に郵便表記も消され、3/4と5/6の荷物が二か所らしい。
83101は1980年7月までこの状態で、その後に2番目と6番目の窓下に変更。
83101の荷物表記で、3/4と5/6等の記述が多いのはこのためと思われる。
自分には2と6で他車と判別が容易と思っていたが、それは末期3年だけらしい。
83102は、自分が調べた限りでは、3/4と5/6以外の画像が発見できず状態。
よって、正統的には83102が一番該当のように思える。
83103は少々複雑。改造直後は不明。1971年には2番目と5番目の窓下画像あり。
その後短期間?4番目と6番目の窓下画像あり、その後また2番目と5番目に戻る。
さらに1978から1980年頃にさらに変化、2番目と7番目の窓下表記であった。
自分にはこれが、一番なじみが多い表記になっていた。
なお調べた範囲では、空気側電気側ともに表記位置は同じで、異なる例は未発見。
という状況のため、荷物位置からの車両番号区別は、撮影時期を慎重に確認要です。
なぜこのように変化があったのか、詳細ご存じの方が居りましたら伺いたいですね。
とくに1980年前後で3両とも異なった経緯等あれば知りたいともいます。
なお間違い等あれば、申し訳ございません。今後修正いたします。
参考:決定版 旧型国電車両台帳
国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、
国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(下)
ガイドブック最盛期の国鉄車両2戦後型旧性能電車
旧型国電50年Ⅱ
JTB時刻表1980/07、1978/07他