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北海道の廃線跡探訪 第42回 湧網線(4/4)常呂~網走間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第42回 湧網線中湧別~網走間その4(最終回) 常呂~網走間です。
湧網線の路盤は、常呂から大曲仮乗降場跡の手前までは、ほとんどがオホーツク自転車道になっています。この自転車道では、小鉄橋がほとんど再利用されています。
能取にはホーム、卯原内には資料館と保存車輌があります。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.常呂~能取
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常呂を出ると、オホーツク海を望む鉄橋として有名撮影地だった常呂川橋梁の手前まで広い道路になっている。
橋の直前に少し路盤があるが、常呂川橋梁はまったく跡形もない。
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対岸には築堤が続き、路盤は常呂漁港のあたりは建物や道路になっているが、再びオホーツク自転車道に姿を変え、簡易舗装された道が一直線に能取湖に向かって延びている。
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次の能取との間で網走市に入り国道とクロス、湧網線営業当時の跨線橋は撤去されて、自転車道が下がって国道をくぐっている。
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つづいてトープト川を渡るが、橋は河川改修されたためか、架け替えられていた。
能取は能取交通公園となり、ホームが残っている。
かつてはスハフ42 510が保存されていたため、自転車道はわざわざホームを避けて曲がっている。
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3.能取~北見平和
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能取を過ぎると、すぐ黒沢川橋梁でルートモトイエナイ川を渡る。
橋の上側はコンクリートで拡幅され、橋台も新しく(元の橋台の外側を補強?)なっているが、緑色のIビームに1983年10月と書かれた塗装標記が消えかかりながら残っていた。
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自転車道は再び国道をアンダークロス、卯原内まで国道と能取湖の間を南へ向かう。
かつては踏切で線路と直交するため国道のほうが不自然に曲がっていたのが、今は逆に自転車道がS字状に曲がっている。
能取湖側へ出た自転車道はキナチャウシュナイ川を渡るが、ここは新しいコンクリート橋になっていた。
ピラケショマナイ川には「鉄道省 昭和九年 汽車製造株式会社製作」の銘板も残る、Iビーム橋がある。橋台も補強はされているが、下側はそのままのように見えた。
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中能取の近くには小さな川を渡るコンクリートの橋があるが、ここも橋台の下側は古いように見える。
イルオナイ川やポンコナイ川(沢見川橋梁)にもIビーム橋が同じような形で残っている。
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北見平和近くで自転車道は国道と少し離れるが、ここでも川を渡っているので、歩いて行ってみた。
お目当ての橋は埋もれたようでよく見えず、架け替えたようでがっかりしたが、海別岳をバックに、能取湖で休むタンチョウを見ることができた。
1949(昭和24)年仮乗降場として設置、1954年1月昇格した北見平和も淡々と自転車道が延びているだけ。
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4.北見平和~卯原内
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北見平和を出ると、多蛟川橋梁でソオラルオツナイ川を、住吉川橋梁でニタテヨコツナイ川を渡る。ここもIビーム橋と橋台がほかと同じように転用されているが、オンネナイ川は架け替えられ、橋台の下側だけがわずかに残っていた。
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卯原内駅跡は卯原内交通公園として整備されている。
ホームや踏切警報機が保存され、新たに造られた大きな駅名標もある。
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駅舎はないが、車輌も9600形49643号機とオハ47 508が保存されている。
オハは塗装が明るい茶色になり、レタリングも異様に大きく書かれている。車内は座席が半分撤去され、畳敷き風になっているが、手入れはよくされている。
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鉄道記念館の1階はバス待合室と喫茶店になり、資料室は2階にあるが、卯原内小学校資料館にもなっている。資料館は喫茶店に頼むと見学可能。
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5.卯原内~二見ヶ岡
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卯原内川を渡る橋には「平成4年1月竣工」の銘板があるが、これは自転車道として整備されたときのもので、新卯原内川橋梁の転用とも思える。
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ここから能取湖からやや離れ、国道と並行して東方へ向かう。
オンネニタツ川にも転用されたIビームの東卯原内川橋梁があるが、二見中央仮乗降場にも跡はなく、二見ヶ岡も空き地となり、痕跡はない。
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6.二見ヶ岡~網走
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二見ヶ岡の先で自転車道は実に立派な橋で国道をオーバークロス、今度は国道と網走湖の間を行く。
国道並行区間にも小さなIビーム橋が見える。
自転車道はやがて国道から少し離れる。
三眺川の橋は、三眺橋と名前を変えたコンクリート橋になっていた。
つづいて小さな橋があり、欄干にある銘板には「三眺架道橋」とある。反対側の銘板には「法務省管理用道路」とあり、北東にある網走刑務所から農場への通路だったらしい。
道路は廃道状態で、とても架道橋には見えないが、下に降りてみると緑色のガーダーの塗装表記には、ただ「架道橋」とあった。
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すぐにガーダーを列ねた網走川橋梁となる。上部にはがっちりした柵が設けられ、網走川橋と名前を変えているが、鉄橋自体は原形を保っている。
湧網線最大の遺構で、横川橋梁製作所昭和9年の銘板も健在だった。
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橋を渡ると、自転車道の起点である大曲駐輪場となる。
自転車道の解説板には湧網線の路盤を転用したという記述はなく、駅跡の紹介もないが、一角にある「湧網線跡」と記された記念碑には簡単に湧網線の歴史が書かれている。
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このオホーツク自転車道は、路盤転用のため勾配のゆるいこと、能取湖・網走湖沿岸を走り景色のよいこと、クルマで来る人のための駐車場や休憩施設の整っていることなど、自転車道としてはかなり上位にランクされるのではと思う。実際、本格的装備の利用者も見受けられた。
大曲駐輪場を過ぎると、路盤は宅地や道路に変わり、湧網線を跨いでいた国道39号の跨線橋も跡はない。
駅裏・天都山方面へ行く道路が、国道39号と石北本線を跨ぐ橋の下方に、ひっそりと空き地となった大曲仮乗降場の跡があった。
ここも東富丘と同様、1日1往復しか列車が停まらなかったが、附近はすでに網走の市街地となり、住宅も多い。
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大曲を過ぎるとすぐに石北本線と並び、路盤が網走まで達している。
網走は湧網線営業時とさほど変わっているようには見えないが、湧網線ホームだった行き止まりの0番線の線路はなくなっている。
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上屋から下がる照明式の駅名標も、かつて湧網線の次駅が書かれていたのか、下側の空きが目立つ。このバランスの悪さが、消えた路線を象徴しているようにも思えた。
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今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は興浜南線です。