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北海道の廃線跡探訪 第41回 湧網線(3/4)知来~常呂間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第41回 湧網線中湧別~網走間その3 知来~常呂間です。
この区間の路盤は、農地化で消えているところが多くなりますが、コンクリート橋や橋台がところどころに残っています。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.知来~浜佐呂間
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知来の構内を出ると、路盤は農地化され消失、第3佐呂間別川橋梁の痕跡もない。
佐呂間別川の先から路盤が現れ、築堤には小さなコンクリートアーチ橋が残っているが、紅葉橋仮乗降場の跡もない。
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ここから仁倉までも切れ切れに路盤の跡があるだけで、知来と同じ駅舎だった仁倉も跡形はない。
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仁倉からも路盤は、ところどころ農道になっているが、消失しているところもある。
仁倉川にも何もないが、六号の沢川にはコンクリート橋が残っている。
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浜佐呂間市街手前のイワケシュケコマナイ(岩毛庄内)川には、浜佐呂間方の橋台がある。
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開業時の下佐呂間から1963年10月に改称された浜佐呂間には、真新しい施設が建ち並び、大きな農業倉庫があるだけで、駅の面影はまったくない。
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3.浜佐呂間~常呂
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湧網線は浜佐呂間で久々にサロマ湖に近づくが、湖岸とは少し離れているので湖は見えない。
再び内陸部へと向かい、今は北見市となった旧常呂町に入る。
北見富丘にも何もなく、ヤブとなった路盤があるだけ。
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ここから丘を下り、畑のまっただなかに入っていくが、路盤は完全に農地化されている。
道路脇の用水路にコンクリート製の橋があったが、ライトコロ川にはなにもない。
1956年5月、二見中央と同時に設置された東富丘仮乗降場は、網走手前の大曲仮乗降場とともに、営業末期には朝夕1往復しか停車しなかった。
今では、その位置すらわからないほどになっている。
ただ、よく見ると路盤の幅で畑の土の色が少し変わっているのと、その延長上の防風林が途切れているので、これが湧網線のルートかと想像はできる。
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北見共立の手前の用水路にはコンクリート橋が残っているが、その前後はあいかわらず農地化されている。
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湧網線が北東方向へ進路を変え、道道7号と接するところにあった、北見共立も空き地になっているが、ここにも元自転車置き場らしきものがある。
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北見共立の先も路盤は農地化されているが、この区間の用水路にもコンクリート橋があった。
常呂方の築堤はきれいになくなっているが、北見共立方は短く残った築堤が樹木に覆われ、畑のなかの鎮守の森のように見える。
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常呂までも路盤はほとんど畑となり追跡できないが、湧網線は再び国道238号とクロスし、オホーツク海に突き当たり大きく東へ曲がり常呂市街に入っていた。
路盤は道道1033号(旧国道)の踏切跡からオホーツク自転車道となるが、旧常呂駅構内に入ると一般道路となる。
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常呂は湧網線沿線随一の規模の駅で、廃止時まで列車交換もしていた。
今では中心部にバスターミナルが建っているだけで、ガランとした舗装路面が拡がっている。
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2010年8月撮影(タイトル写真も同じ)
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湧網線廃止後に建てられた常呂町交通ターミナルは改築され、北見市常呂交通ターミナルとして、2015年12月オープンしている。
建物は以前の半分くらいになり、地域交通の衰退を表しているかのようだった。
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今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は常呂から終点網走へ向かいます。