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山形三五〇円温泉の旅 #2 仙山線山形行き左車窓
変化に富む車窓
「仙」台と「山」形を結ぶから、仙山線。
東北地方にあっては有数の二つの〝都市〟をつなぐ路線でありながら、その車窓からの眺めは変化に富む。それは、日本列島の背骨にあたる奥羽山脈を突き抜けるからだろう。
フリーパスを使って四日連続で山形の温泉に通うことになった。
毎日、同じ列車を使った。七時一四分仙台発の山形行き、である。
初日に、たまたま進行方向に向かって左手のボックス席に腰をおろした。
乗ってみると車窓は、右より左の方が面白そうだった。だから、四日間とも同じ側に座った。
ここに、その眺めを再現してみたい。
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仙台から愛子
仙台駅を出て暫くの間は、東北本線のレールが横に見えている。
と、列車は右方向に逸れていく。
え。山形に行くなら左では? と思っていると、急に左旋回し、車体は東北新幹線の高架の下を抜ける。
一度身体を反対方向に振って、勢いをつけたかのようだ。
西に向かう、という列車の意志を感じる。
その後は、堤防の上を走る。しかし近くに川があるわけでもない。
土塁のような地形が元からここにあったのか、仙山線のために?
いや、そんな都合のよいことがあるはずもない。とすれば、人が土を運んで盛り上げたのか、仙山線のために?
土手のすぐ下には、おそらく昭和期のものだろう、小型の住宅が、マッチ箱を並べるように貼り付いている。
東照宮駅に到着したが、プラットフォームが見えない。
ここで左の車窓を見ていた乗客は、仙山線は単線なのだと気づく。
ビルが林立し、まだ仙台の中心部にいることを思うと、不思議な感じがする。
次の北仙台駅で、早速、列車の行き違い待ちがアナウンスされた。
仙山線は容易に遅延するというイメージがあるが、それもそのはずだ。相手の列車が遅れると、こちらの列車の出発も遅れる。それがまた、別の列車の遅延を引き起こす。
春四月、プラットフォーム裏の桜が開花して、右の車窓が白い壁のように見えた。
北仙台を出ると、とたんに高低差が感じられる地形になる。堤防はいつしか消えており、下に見ていた一軒家の家並みが、頭の上に来たりする。
病院のような建物の前に停まったら、東北福祉大駅だ。茶色のビルは、病院ではなく、キャンパスなのだろう。
この駅と次の国見駅では、大学生と思しき若者が大量に降りて行った。
葛岡駅の手前で、突然、眺望が開ける。
グランドキャニオンを見るような、と言えば大袈裟だが、ちょっと雄大な景観だ。
向こうの山とこちらの山で広い大きな谷型の地形をつくっている。その真ん中には川が流れているはずだが、深い位置にあるためか、見えない。
線路はこちら側の山の斜面をトラバースするようにつけられている。その位置から、新しく造成された住宅群が、向こう側の山肌を、下から浸食するように這い上がっている様子が見えるのだ。岩礁に付着したフジツボのようだ。
陸前落合駅を挟んで、愛子駅に到着する。
「あやし」――初見では読めないはずだ。普通に読めば、「あいこ」だろう。内親王の顔が浮かぶ。
仙山線は、愛子駅で一息つく感がある。
ここまでが、仙台への、あるいは仙台からの通勤・通学圏内だろう。学校へ、あるいは勤務先へ向かうと思われる乗客が一気に吐き出され、改札の前に長い列をつくる。
この人たちは、仙台・愛子間だけでも複線化されれば……と願っているに違いない。
奥新川まで
空席が生じたので、席を移る人がある。
四日間で学習したが、この時点でなお車内にとどまる人たちは、高確率で山寺目的だ。
愛子駅を発ってしばらくすると、「HOTEL Musée」と書かれた灰色の要塞が見えてくる。「ミュゼ」とはフランス語で博物館のはずだが、一体どういうコンセプトのラブホテルなのだろうか、と疑問が湧く。
〝博物館〟を過ぎると、景色は急速に田舎のそれになる。
行く手には、雪をまだらに残した山が青く見えている。
いよいよ山に向かう、という感じがするが、いましばらくは農村地帯が続く。
伏せた椀を一列に並べたような、漫画みたいな山の連なりがある。
くまに注意、の看板が現れる。
轟音がして高い鉄橋を渡る。窓に顔を寄せて、深い谷底を見下ろす。
列車は、陸前白沢、熊ヶ根に停車するが、誰も降りない。
熊ヶ根を過ぎると、林の枝が窓に当たりそうになる。
「銘菓 白松がモナカ」の看板がポツンとこちらを向いており、流れ去る。
ニッカウヰスキーのレンガ色の建物が見えたら、ほどなく作並駅だ。
男女二体のこけしが、プラットフォーム出口の脇を固めている。
温泉宿の看板があり、「真の名湯は多くを語らない」と書かれている。
作並温泉は一度訪れたいと思っているが、実現していない。この駅を車内から眺めるたび、そう思う。
こけしにお別れすると、いよいよ山が間近に迫って来る。本格的な山越えが始まる。
トンネルに入り、視界が閉ざされる。
この一つ目のトンネルは長い。
ようやく暗闇を抜けると、いかにも山地を横断中といった感じの風景になった。
幾度か深い谷を渡る。
二つ目の短いトンネルが過ぎると、奥新川(おくにっかわ)の駅である。
家屋は、駅の周辺に数軒見えるだけだ。
利用客が少ない駅のかなり上位にランクインしているのではないか、と推測する。
面白山高原から羽前千歳
ここから先が、自分の最も気に入った区間だ。
駅を出てしばらくすると、なぜか列車は急激に速度を緩める。カーブが多いためだろうか。
車掌が車内を巡回し始める。
たたん・たたん・たたん
たたん・たたん・たたん
車輪が線路の継ぎ目を拾うテンポが心地よい。
小さな滝や沢の流れが、すぐ傍に見えている。
ああ、自分はいま旅をしているなあ、という感じに包まれる。
幸福な時間は、再びトンネルによって絶たれる。
闇に潜った列車は、一気に速度を上げる。トンネルが直線に造られているからだろうか。
長いトンネルだ。
暗闇の中で、列車の黄色い灯りの並びが流れ去った。ということは、トンネル内で複線化された区間があるということか。
速度が落ちて光に満ちたら、そこが面白山高原駅だ。
六角堂を思わせる可愛いらしい駅舎が待ち受けている。
後で調べたのだが、先ほどのトンネルの中間に、宮城と山形の県境があった。
ここはもう、山形県である。
それにしても、面白い山の高原――どうしてこう名付けるに至ったのだろう。
この山の中の駅では、登山の装備をしたグループや、何をするのか知らないがカジュアルな服装の外国人がプラットフォームに立つ姿がちらほら見られた。
次の駅は「山寺」だと示されている。
ここから先は、山下りになる。
列車は、右に左に、蛇のように車両をくねらせながら高度を下げて行く。
再び川に出会うが、水の流れる向きが変わっている。これまで見えていたのとは別の川だ。
車窓の高い位置は、枯れ木ばかりの山の斜面で満たされる。落葉樹ということは、紅葉の季節には見事な眺めが見られるのかもしれない、と想像する。
ここまで左の車窓に縛られてきたが、おくのほそ道で有名な山寺は、右の車窓に登場する。
停車すると、乗客がどっと吐き出された。
車内はガランとした。
軽くなった車両を揺らして、山下りが再開される。
行く手の山と山に挟まれた空間に、白い壁が出現した。
視線が吸い寄せられた。
長野県の松本で眼にするような横一線の山の稜線だ。
高瀬の駅まで下りると、そこはもう平地で、里山の風景になった。
ほどなくして、広大な空間が開ける。
山形盆地に入ったのだ。
別世界、という言葉がうかぶ。
江戸時代に「別の藩に来た!」というのは、こういう感じだったのではないかと想像する。
楯山を過ぎると、列車は大きく左に旋回する。
行く手には、蔵王の白い雪と山形駅前の高いビルが見えている。
終着まであとわずかだが、自分は山形線(奥羽本線)に乗り換えるため、二つ手前の駅で下車した。
仙台から羽前千歳まで、一時間二〇分の小さな旅である。
(次回に続く)