省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

東京配備後すぐ関西にやってきた 信越線クハ68099 (蔵出し画像)

 本車は元クハ55 をセミクロス化したクハ68です。ちょっと珍しいのは前面運転台窓が H ゴム化されていないのに、側面の戸袋窓が H ゴム化されています。普通はまず運転台窓を H ゴム化しても側面戸袋窓までは H ゴム化されていないケースが多いのですが、本車は逆になっています。1941年に作られた準戦時型でしたので、あるいは戸袋窓の腐食が進んでいたのかもしれません。また戸袋窓の内側の桟を見るとモスグリーンに塗られていますので、室内もモスグリーンに塗られていたようです。おそらく名古屋局転属後に浜松工場においてペイントで塗られたものと思われます。さらに運転台助士席側の窓に R がついていますが、これはおそらく長野局転属後、隙間風対策で2段窓を変更したものと推定されます。

 また、なぜか乗務員室扉の上にもヘッダーが設置されています。これは1941年製の帝国車輛製のクハ55 に共通する特徴です。

 なお、前面の貫通路扉下部にへこみがありません。ただその上にサボ掛けの金具が見えますので、関西時代からの特徴だったようです。

クハ68099 (長モト) 1977.7 長野

 これから増結の準備をするのか、作業員が車の先頭に集まっています。

本車の車歴です。

1941.9.8 帝国車輛製造 (クハ55087) 東カノ → 1942.6.15 大ミハ → 1944.9.16 座席撤去 → 1946.4.3 連合軍専用車指定 → 1946.4.15 車内改造 → 1947.2.19 連合軍専用域半室化改造 → 1948.11.29 座席整備 → 1953.6.1 改番 (クハ68099) → 1956.3.1 大タツ → 1959.2.28 更新修繕 I 吹田工 → 1962.5.2 大アカ → 1966.5.11 名カキ → 1968.8.23 名シン → 1972.3.23 長ナノ → 1974.12.17 長モト → 1978.1.27 廃車 (長モト)

資料出典: 『関西国電50年』『関東省電の進駐軍専用車』『鉄道ピクトリアル』『鉄道ファン』バックナンバー

 関西配備のクハ55の多くが京阪神緩行線に転用されクハ68になっています。このクハ55の多くは最初から関西に配備されたか、1950年前後の関東からの20m 3扉車排除で関西に転属された車輛が大半ですが、本車は最初に中野区に配備され、1年もたたずに関西に転属しています。これはかなり珍しい経歴で、本車と 55086 (のちの68104) ぐらいしかありません。もともと関西で使うつもりだったのが、車輛不足で、最初に一時的に関東に回したのでしょうか。

 また、1946年には関西では数少なかった連合軍専用車指定を受けました。当初全室連合軍専用域に指定されましたが、翌年半室のみ指定に変更になりました。仕切り工事が行われたものと思われます。なお『関西国電50年』の記述では、1948年11月に座席整備とありましたが、おそらく専用指定解除に向けての整備が行われたものと思われます。

 その後 24 年間京阪神緩行線で使われ、中央西線名古屋口電化で名古屋局に転じました。しかしそれも首都圏などから73系が入ってくると、クハ68 やモハ70 初期車を中心に追い出されることになり、名古屋歴 6 年で信越地区に移り、さらに 6 年後に廃車となりました。

 なお、名古屋口の70系の使用ですが、73系にはトイレがなかったため、原則瑞浪までの短距離運用に充当され、中津川以東発着の列車、および岡多線には70系が充当されたため、70系自体の運用は名古屋口の新性能化まで残りました。比較的経年の浅い状態の良い車輛を中心に残されたと思われます。