唐突に西武鉄道の日常利用…といっても、国分寺線が中心となるが。
その軸で知った、2000系の中でも
小窓が希少かつ貴重だ
という話。
これを知ってしまっては、気にしないわけがない…というのがテツの性。
というか、知らなければ今日まで日々淡々と国分寺線内を往復しているだけに違いなかった。
そもそもは、それだけ長い年月の間日常生活に溶け込んだ路線の一つだからである。
仕事だったり沿線の学校との縁だったり、はたまた幼少期までルーツが遡れる。
ただ西武鉄道は国分寺線に限らず、西武園線・豊島線を除くとほとんどそんな感じであるが。
縁の深さでいうと西武鉄道の次が富士急行、次いで小田急電鉄というところだろうか。
…そんな生活を一変させる、日々の西武線運用チェックが始まった。
朝の出勤途上、必ず情報サイトの現在位置ページをチェック。
情報があれば必ず確認し、なければ国分寺などで自らの目で確かめる。
それを基に運用を割り出し、撮る、または乗る…の繰り返しである。
4月10日17:25、東村山駅
4月10日の帰路、まずは東村山駅1番ホームから、2番線に入線してくる2051Fを迎撃した。
最近データを整理し直していて思うのだが、東村山駅も随分工事が進捗したなと実感する。
時々空がよく見えた構内の写真が出てくると、隔世の感すら抱くのである。
製造年代が昭和の頃だとか、
行き先表示が幕のままだとか、
パンタグラフが菱形のままだとか…
チェックポイントはいくつかある。
けれど、まさか貫通扉の窓の大きさで気にすることになろうとは。
一応知識として頭には入っていたけれど、そこまで重要なことになっているとは知らなかった。
気難しいのは、2051Fのパンタグラフはシングルアーム化されていること。
この次の2053Fは菱形パンタグラフ・方向幕装備車だが、貫通扉は後期型の大窓。
時代の変遷で、編成毎の個性差が大きくなっているのである。
そして先頭車のスカートも、車端部の転落防止幌も平成の頃から標準装備化。
言い方を変えれば、もはや原型と言い切れる編成は無くなっているのが実情なのだ。
そんな情勢下で、少しでも惹かれる個性を持つものに愛を感じるのは必定なのだ。
愛なんだよ、愛←いきなり何
ともかく、その動きを捉えたらあの手この手で撮っておく。
ここ近年の情勢では、いつ落ちたとしても全く不思議ではないからだ。
並んだところを見ると、よくわかる違い。
動いている場所が限定的な分、少しでも違う画角を狙えるように。
ただ、それすらも困難になってくるほど、これまで記録行脚をしてきたツケも出てくる。
前パンや2031Fなど折々に記録を蓄積してきたこともマイナスに出てくる、頻度の多さ。
更には微妙な天気感、また更には読めない日々の運用順序…
極め付けは、慣れぬ仕事と地域へのアプローチ。
その難解さが、今後少なからず記録の蓄積を躊躇わせてもいく。
捉えられすればとりあえず御の字、くらいのスタンスで対峙していた。
4月11日7:53、東村山駅
この日は朝に早めに動き、東村山駅に到達。
今度は、東村山駅1番線に発着する2051Fを国分寺側、2番線の終端側で捉えた。
国分寺線の発着に使用されるのは朝のみであるのと、2番線発着電車との相互の位置関係もあり
国分寺側で撮れるのは2番線に電車がいないタイミングでのみ可能であるからだ。
とにかく直上での高架工事が進行し、発車含め走行写真は格段に撮りづらくなった。
…そしてこの日夕方、小平駅で捉えたのは。
一番捉えづらくなっている、2両編成の…
2451F、である。
4月はほとんど西武新宿側に連結され、特徴的な前パンが先頭に立っていた。
見れば見るほど、新2000系の2両編成車も個性的な車両だ。
1M1Tなのに、番号は旧2000系と同じでクモハ2450奇数+クハ2450偶数と連番で付番。
クハ2450も電装に備えた装備で、車内床面には主電動機点検蓋を設置するための枠が…
そんな2両編成車も、6000系の転入が影響しているのか日々の稼働率は低い様子。
京王電鉄のような特有の事情は無いにしろ、そろそろ動きもあるのではと読むが、果たして?
この日はひとまず、航空公園で見送り。
するとほどなく…
2419Fを先頭にした10両編成も!
この日も4両編成の小窓車・2507Fを中間に連結して運用についていた。
小窓を狙いたい身としては、痛し痒し複雑な気分ではあった。
こうして、朝に夕に、記録を積み重ねていく。
が、そうはうまくいかないことも多々出てくることになっていく…