枝切街道(20) | としのブログ

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八尾市の中心へ




N53    大阪中央環状線を横切り、この会社さんの所を入ります


N54   微妙なカーブの道ですが歴史街道らしくはありません


N55   ここを右折します


N56    段々と都会になって行きます


N57    府道2号の穴太交差点に出ました、府道2号は右手から来て右折しますが、枝切街道は真っ直ぐ軽自動車の奥に行きます


N58   右手が府道2号で、左手に進みます



N59   直ぐに穴太神社の鳥居があります


案内碑によると、この神社と言うかこの地は徳太子の母間人穴穂部皇后が生まれた場所であるようです



N60    注連縄柱をくぐり入って行きます


手水舎には水はありません


穴太神社の拝殿です、コンパクトですが優雅にに重なった屋根が、屋根フェチの私はワクワクします


境内の北側に穴太稲荷神社があります


稲荷神社独特の赤い鳥居を潜り抜けます


神狐がキリッとしたお顔で祀られています、何らや綺麗なおべべ(子供に着せる服)を着せて貰っています


さあ、穴太神社の南側の鳥居からまた枝切街道を行きます


あっ、その前にこの穴太神社の西側の府道2号または府道21号(大阪府道八尾枚方線)は、昭和13年に大正飛行場(現 八尾飛行場)にて開校した阪神飛行学校の予備の、滑走路に成る可く真っ直ぐ伸ばされた道なのです、もし大正飛行場の滑走路が使えなくなった時の予備の滑走路として作られたらしい




その説明板(A)


また余談の余談ですが、現在の東大阪トラックターミナルも元々飛行場で、現在のパナソニック(松下電器産業)は戦時中、飛行機を作っていて、最近まで残っていた三洋電機の工場「大東市三洋町」は、元々松下の工場で飛行機の工場だったのです


昭和初期の地図


脱線し過ぎるので戻ります



N61   穴太神社から真っ直ぐ南に伸び道が街道です


N62    近鉄大阪線の高架を潜ります


N63   この付近の道幅は狭くて街道らしい雰囲気を出しています


N64    商店街のアーケードに入ります、「御坊前通り」と言う商店街で、枝切街道はここを真っ直ぐ抜けて行きます


N65   訪問したのは土曜日の昼間ですが、ガラガラですねー、アーケードの商店街は時代遅れなのでしょうか


N66   こちらのアーケード商店街は「ファミリーロード」と言う商店街で、この辺りのメインの商店街で、このアーケードを抜けたところに地上時代の近鉄八尾駅があり、昔はさぞかしこの商店街も賑わっていたと思われます



現在の近鉄の高架を北から見ます、地上時代の八尾駅は右手にあり、高架を潜った先にアーケードのファミリーロードがあります、高架化の時に300m程東に移動し、コクヨの大阪工場跡地に、西武百貨店ができ、現在はアリオ八尾になりました、この辺りのお買い物はそちらに行くのでしょうか



高架前の地図


次編で最終編になります、枝切街道、河内街道、八尾街道がこの商店街で一つになります、八尾市の中心だった名残りがあります。


つづく