1955年1月現在の国鉄バス遠江二俣営業所管内路線図。時はまさに峰之澤鉱山全盛期にもかかわらず路線図に記載はありません。
峰之澤鉱山へのアシは無料で利用出来たインクラインでした。そのため国鉄“自動車部"は貨物輸送のみ行う“貨物線用線"だったようです。
峰之澤線開通式に現れた国鉄バスと
運行を止めたインクライン
1968年1月8日
龍山村史には上記のコメントが添付されている事からこの日にインクラインから国鉄バスへと旅客輸送が切り替わったと思われます。
峰之澤は閉山後、残る産業は林業とお茶・椎茸栽培と第一次産業が主体となります。日本の鉱業全体もエネルギー革命により斜陽期を迎えていたため殆どの人はヤマを下りて他の産業へ職種転換されました。
※日曜・祝日・学休日運休
◎日曜・祝日・学休日運転
1985年2月改正
峰之澤線時刻表
僅かに残った峰之澤の住民は自家用車を使うようになり、クルマが乗れない学生のために国鉄バスが走るようになったのです。そのため朝一番のバスで峰之澤を下りて午後に峰之澤へ帰るため学生輸送のためのダイヤが組まれたようです。
国鉄バス431-40xx
浜松22か・482
いすゞBA05N(1974年)
瀬尻
1985年
IF氏撮影
IF氏が撮影した国鉄遠江二俣営業所末期の瀬尻行きバス。おそらく峰之澤線の末期の様子。峰之澤線はJR東海バスに継承される事無く大白木線・佐久線などの天竜本線から分岐する支線と一緒に廃止されました。
?バス停
2008年3月
名称板が無いのでバス停名は不詳、立派な待合室は物置として活用されていました。
峰之澤線 名称不詳バス停
2008年3月
苔蒸して読みづらいが
瀬尻行き
7:09 13:24 17:??
峰之澤行き
6:56 13:1? 17:??