フジの花の季節である。奥多摩の日の出町大久野(おおぐの)にある天然のフジの花が有名だが、2年ほど前に役場に電話したら、「遠望するだけで間近には見えず、また大したことない」という感じで全くお勧めの雰囲気がなかった。

 

 

 一方、あしかがフラワーパーク(上)はとても有名だが、あんな観光地、好みではないと思っていた。しかしよく考えると行ったことのない足利市内には歴史遺産の足利学校などがある。それらをめぐってから行けば、それなりのウォーキングになるだろうとまずは足利市駅を目指した。

 

 

 JR宇都宮線久喜駅から東武鉄道の座席指定特急「りょうもう号」(上)に乗り換え、足利市駅で下車。渡良瀬川(下)を渡ってまずは両崖山の麓にある足利織姫神社へ。この辺りは昔から織物産業で有名なので、機織りを司る神と織女の2人が祭神で、1705年に伊勢神宮から勧請されたとある。

 

 

 まあどうと言うことはないが、階段を200段ほど登ると朱塗りの美しい社殿(下)があり、足利の街というか関東平野が一望できた。

 

 

 次に少し東に向かって歩くと、鑁阿寺(ばんなじ)寺(下)。足利と言えば初代室町将軍の尊氏が有名だが、その8代前の足利義兼(足利と名乗ってから2代目、平安末期から鎌倉初期の人)がこの辺りに住み、建立したのがこの寺だそうだ。足利家は城を持たずに平地に居宅を構えた。

 

 

 ここは入場無料だが、次の足利学校はさすがに有料だ。老人パスはなく480円。当時から大学を名乗っていたせいか、合格祈願の売り物も多く、小学生の女の子が「東大合格」と言ったら親が嬉しそうだった。靴を脱いで藁葺きの「方丈」という学校の中心の建物に入る。

 

(けんじいもいただいた入学証)

 

 この学校の歴史は定かではないが、最も古い説ではあの小野篁が開いたとも言われ、このブログでも一生懸命紹介したので見慣れた彼の肖像画が置いてあった。しかしはっきりしているのは、室町時代に関東管領の上杉憲実が国宝級の書籍を寄進して始まったこと。「これを秀吉が京都に持って行ってしまったが、家康公が取り戻してくださった」と解説していたのが気に食わなかった。教えていたのは孔子の儒学と易学。

 

(東側から見た足利学校、土蔵、木小屋、庫裡など)

 

 なぜかザビエルが「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と世界に紹介したというので有名になったが、明治になってその役目を終えた。

 

 

 けんじいはここで思う。「なぜ明治になって役目を終えたのか。「日本にはこんな立派な大学がすでに存在する」と声を大にして叫び、東大を凌ぐ日本一の大学を目指すべきだったのではないか」と。実際湯島の聖堂がのちに東京大学に連なったことを考えれば荒唐無稽な考えとは思えない。

 

 

 ところで足利学校の中に代官茂木家の墓があった。一方街中のポスターは自民党の茂木幹事長のものばかりだった。もしかすると歴代の足利学校(悪?)代官の子孫なのかもしれない。

 

 

 さて駅前(上は駅前にあったEF60電機)にロクなレストランがなく、大混雑のはなまるうどんをかき込んでから、今度はJR両毛線足利駅から1区間乗って、あしかがフラワーパーク駅で下車。駅からすでにフジの香りがし人の波が続く。チケットは2200円と高い。もっとも足利駅で割引券を買っておいたので2千円。

 

 

 入り口付近は新宿駅並みの大混雑だったが、中に入るとまあまあながら相当な混み具合で照りつける太陽と相まってあまり快適とは言えない。それでも移植された1本の木から大きく広がって大量の花をつける姿は壮観(一番上の写真)である。紫色というかフジ色だけでなく、白(上)、黄色(下)、薄紅色のたくさんのフジを堪能した。

 

 

 フジの花以外にもまさに百花繚乱、文字通りフラワーパークだったが、やっぱり花は山の中で見つけるのがいい。