当コーナーで交直両用の急行電車を取り上げるのは久々なんですが、ここは昭和48年2月の奥羽本線の北山形駅構内。となると、急行「ざおう」かなとも思うのですが、まじまじと画像を眺めると列車番号が「813M」と読めます。それを手掛かりに調べたら、仙山線の急行「仙山(下り1号)」であることが判りました。

今も昔も仙台と山形を結ぶ重要なアクセスとして機能している仙山線ですが、同時に「交流電化発祥線区」としても知られています。交流電化の実用化は北陸本線が最初ですが、データ取りと乗務員の習熟といった数々の試験を仙山線で行いました。時に昭和29年のこと。この時は作並駅をキーステーションとして、同駅に機関区を設置、作並から羽前千歳までは直流電化として、交直の切り替えも実施されました(作並-羽前千歳の交流化は昭和43年9月のこと)。

 

全線が電化されているにも関わらず、撮影当時の仙山線は急行「仙山」だけが電車で、普通列車は機関車牽引の客車か気動車になります。「仙山」も3往復中電車は2往復だけで、残りの1往復は気動車でした。

「仙山」が最初に登場したのは昭和37年7月で、毎日運転の臨時準急としてデビューしました。その時は山形を飛び越して上ノ山(現在のかみのやま温泉)まで足を延ばしていました。翌年10月には定期列車になって運転本数も3往復になりました(2往復は山形止まり)。

昭和43年10月改正で急行に昇格するとともに、455系によって電車化されますが上ノ山行きは山形止まりとなります。

 

 

こちらは昭和48年4月現在の「下り仙山1号」の時刻表です。

急行列車らしく、仙山線の主要駅にしか停まりません。北仙台が主要駅なのかどうかは知らんけど。

八ツ森駅と面白山駅は当時、臨時駅で、正式な駅に昇格するのはJRが発足した昭和62年4月。面白山駅はその翌年に面白山高原駅に改称されるのですが、八ツ森駅は平成26年に廃駅となりました。

それから、ベッドタウン化が進行して大多数の列車が仙台⇔愛子の区間運転になっている仙山線ですが、半世紀前は秋保温泉への玄関口という “顔” しかなく、「仙山」を始めとする急行は全て通過していました。

 

さて、その「仙山」に充当されている455系ですが、画像をよくよく眺めると、クーラーがAU12(AU12S)になっているのが判ります。如何にも「私は冷房改造車です」というアピールなんですが、455系ではクモハ455-37~42だけに見られたもの。

直流形にも言えるのですが、急行形車両は落成当初、非冷房でした。昭和40年代から二等車(→グリーン車)を皮切りに冷房化が進められるのですが、クモハ455/モハ454-37~42(あとクモハ475/モハ474-49~51、クハ455-62~64))はその二等車に搭載する予定のAU12を搭載するつもりで取り付け位置を最初から設定した冷房準備車として落成しました。実際の冷房化は昭和45年以降になりますが、他のクモハ455とクハ455がAU13(AU13E)を搭載している中で、AU12搭載は455系の場合は6両しかない珍車でした。なお、クハ455-62~64は全て北陸向けに投入された車両で東日本向けには投入されませんでした。

 

急行「仙山」は昭和57年11月改正で快速に格下げされてしまい、平成16年に廃止されてしまいます。今も快速は運転されていますが、下り3本、上り4本で、快速運転は愛子-羽前千歳間で朝の上り1本を除いて日中のみの運転になります。それが「仙山」のDNAといえばDNAになるのですが、もっと増やしても良いのでは? まぁ、そんなに利用する人はいないか。

 

 

【画像提供】

い様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアルNo.788

同別冊「国鉄形車両の記録 急行形交直流電車」

(いずれも電気車研究会社 刊)

時刻表1973年4月号 (日本国有鉄道 刊)

JR時刻表2024年4月号 (交通新聞社 刊)

日本鉄道旅行歴史地図帳第2号「東北」 (新潮社 刊)

ウィキペディア(仙山線、八ツ森駅、面白山高原駅、愛子駅)