今回は北海道で駅名の変更が行われた事例を路線別に列挙してみたいと思います。

資料的な記事になりますが、よろしければお付き合い下さい。

また、今回もデータ類はJTB刊「停車場変遷大辞典」を元にしておりますが、当方の見落としなどで誤りが万一ありましたら、ご指摘頂けると有り難いです。


また駅名の由来をそれぞれ併記しておきますが、これらは「北海道 駅名の起源」昭和29年版と、同著を底本とする富士コンテム刊「北海道の駅 878ものがたり」を元に、山田秀三氏、知里真志保氏、本多貢氏ほか諸先生方の各著書、および「角川日本地名大辞典」を適宜参考にしております。

諸説ある中の一部のみのご紹介となりますことを予めご了承下さい。


文中、(仮)は仮乗降場、(仮停)は仮停車場、(留)は停留場(私鉄時代)、(信)は信号場を表し、特にこうした標記のないものは正式な駅(停車場)を意味するものとします。


アイヌ語の片仮名表記はできるだけ発音に忠実になるように、知里真志保氏の方式で記してあります。

小文字(ㇷ゚、ィ、ゥなど)は子音のみで母音の付かない音(p、y、wなど)を表し、「ト゚」は「tu」の音を表すのに用いられる表記法です。「ト゚」は日常的には「トゥ」と書き表すことが多いと思いますが、「トゥ」は「tow」の音を表すのに用いるので、これと区別するため「ト゚」としています。

例えば「トイ(to-i)」か「トィ(toy)」かによって音節数や音節の種類が変わるとアクセントの位置が変わってきて転訛の仕方にも影響する場合があるので、分かりにくくなることを覚悟の上で敢えて忠実に表記させて頂きます。

端末によってはこれらの片仮名は表示できない可能性がありますが、その際は併記したローマ字表記をご参照下さい。

ご不便をお掛けしますが、よろしくお願い致します。


記事を打ち込んでいたら思いの外、長くなってしまったので、何回かに分けて投稿させて頂きます。


では前置きが長くなりましたが、以下、本文です。



●函館本線

1.函館(はこだて;初代)→亀田(かめだ)

改称年月日:明治37(1904)年7月1日

旧駅名の由来:宝徳年間(1449〜52)に津軽の河野政道が築城した城が箱のようであり、「箱館」と呼ばれるようになったのが地名となり、明治2(1869)年に開拓使出張所を設置した際に「函館」の表記に改められた。

新駅名の由来:現在の函館駅(2代目)が開設するに当たり地区名をとって改称。元はアイヌ語の「シコッ」(si-kot:大きな窪地)と呼ばれていたが「死骨」に通じて縁起が悪いということで幕末に雅名である「亀田」の地名に改めた。亀田川の右岸にあったが、明治44年に廃止。


2.本郷(ほんごう)→渡島大野(おしまおおの)→新函館北斗(しんはこだてほくと)

改称年月日:昭和17(1942)年4月1日、平成28(2016)年3月26日

旧駅名の由来

(本郷):開業時の村名から。文化元(1804)年に開拓された際にその記念のために建立された庚申塚の周辺を「本の郷」と呼んでいたのが年月を経て「本郷」となった。

(渡島大野):本郷村が大野村に合併し、当駅は大野村の玄関駅となったので、改称に至った。函館の背後の大きな平野の中央にあることによる地名。旧国名の「渡島」は日本書紀にも登場する古い名称で、北海道南部を指す地名と比定し、また津軽の人々がこの地を指して「オシマ」と呼んでいたため、明治2年に北海道の国名を建議するにあたってこの地を「渡島(おしま)」と命名した。

ちなみに「北海道駅名の起源」昭和17年版では「渡島」は「オシマ・ウシケ」なるアイヌ語に由来するという説を採っているが、現在では日本書紀に「おしま」の名が出てくること、またその名を元に明治初年に国名として和人が建議したことが明らかになっている以上、アイヌ語説は否定的に捉えられている。

新駅名の由来:北海道新幹線開業に伴う改称。函館駅に対応する形の新幹線駅であるため「新函館」の名を冠しているが、函館市ではなく北斗市に所在するため市名の「北斗」を付した。北斗市の代表駅は当駅ではなく旧江差線(道南いさりび鉄道線)上磯駅となる。また「北斗」は星座の「北斗七星」を指し、「北」を表す雅称として道内各地で見られる地名である。


3.大沼公園(おおぬまこうえん)(仮停)→大沼(おおぬま、2代目)→大沼公園(おおぬまこうえん)

4.大沼(おおぬま)→軍川(いくさがわ)→大沼(おおぬま)

改称年月日:大正9(1930)年6月15日、昭和39(1964)年5月1日

旧駅名の由来:大沼はアイヌ語の「ポロ・ト」(poro-to:大きい沼)を意訳したもの。アイヌ語では一つ沼や池があるだけの場合は単に「to」と呼び、二つの沼池が並んである場合に「poro-to」「pon-to」と呼び分ける。したがって敢えて正確に訳すなら、「大きい方の沼」というニュアンスとなる。

初代大沼駅は大正9年の改称時に「軍川」に変更され、昭和39年の改称時に元の「大沼」に戻った。

軍川はアイヌ語の「イクサㇷ゚」(ikusa-p)に由来し、ikusaは「川を舟で渡す」という意味の動詞。それに動詞を名詞化する「p」が付き、「川を舟で渡す者」「渡し守」という訳となる。

「軍川」の「川」は意訳と思われるが、拡大解釈。今回は動詞を名詞化する「p」は純然と「人」を指すが、アイヌの人々にとって「川」も「人」であったため、「〜のもの」を「〜の川」と読み替えることができる地名が多い。

大沼駅は小沼の方に面しており、大沼公園仮停車場の方が大沼に面していたため、仮停車場の停車場昇格に合わせて改称したと推測できる。結局は「大沼」がこの辺りの広域の地名にまで昇格し、観光需要の喚起や難解な「軍川」の駅名を平易なものにするなど種々の要因が考えられるが、元の駅名に戻された。


5.宿野辺(しゅくのべ)→駒ケ岳(こまがたけ)

改称年月日:明治37(1904)年10月15日

旧駅名の由来:アイヌ語のシュプン・オ・ペ(supun-o-pe:ウグイ(川魚の一種)の多い処)から。

新駅名の由来:駒ケ岳の麓にあることから。山名の由来には諸説ありはっきりしない。


6.野田追(のだおい)→野田生(のだおい)

改称年月日:昭和34(1959)年10月1日

旧駅名の由来:漢字表記のみの変更。野田追は江戸期からの標記で、現在の野田生より広域を指す地名であった。昭和31(1956)年に八雲町の行政字名に「野田生」が起立し、駅名もこれに追随する形で改称した。なお、旧落部村に「野田追中学校」、八雲町に「野田生中学校」があり、両者を統合して新たな「野田生中学校」が設立されている経緯を見るに、行政字として「野田生」の表記が採用されるまで、両方の表記が併存していた時期があったようである。なお、「のだおい」の名はアイヌ語の「ヌㇷ゚・タィ」(nup-tay:野の林)から出たという。


7.山越内(やまこしない)→山越(やまこし)

改称年月日:明治37(1904)年10月15日

旧駅名の由来:アイヌ語の「ヤㇺ・ウン・ナィ」(yam-un-nay:栗の多い川)に由来。

新駅名の由来:旧駅名に同じ。地名が「山越」を採用したため、駅名がこれに合わせた。


8.紋別(もんべつ)→中ノ沢(なかのさわ)

改称年月日:大正3(1914)年10月1日

旧駅名の由来:「モ・ペッ」(mo-pet:子の川)による。子の川とは、ここでは大小二つの川が並んでいるのではなく、本流に対する支流のことを表す。

道内に多数の「もんべつ」という地名があるが、中には「モィ・ペッ」(moy-pet:静かな川)に由来する地名もあるので注意が必要。

新駅名の由来:和類川と紋別川の中間の沢のところに駅があったため。


9.熱郛(ねっぷ)→歌棄(うたすつ)→熱郛(ねっぷ)

改称年月日:明治37(1904)年10月15日、明治39(1906)年12月15日

旧駅名の由来(歌棄):アイヌ語の「オタ・スッ」(ota-sut:砂浜の端)から。sutは直訳すると「根元」の意で、ここまで続いてきた砂浜が尽きて岩石海岸に変わるあたりの地形を指す。

新駅名の由来(熱郛):諸説あり定まった説はない。明治期のアイヌ語地名研究の第一人者であった永田方正氏は「メㇷ゚。寒き処」としたが、どうも誤りであるらしく、「me(寒気)」という名詞に、動詞を名詞化する接尾辞の「p」が付くのは文法的におかしい。「北海道駅名の起源」昭和29年版では、昭和のアイヌ語地名研究の第一人者である知里真志保氏が執筆陣に加わっており、曰く「クンネ・ネッ・ペッ」(kunne-net-pet:黒い漂木の川)の下部を取ったものという。現代ではこれが一番多用される説となっている。


10.磯谷(いそや)→目名(めな)

改称年月日:明治38(1905)年12月15日

旧駅名の由来:アイヌ語の「イソ・ヤ」(iso-ya:波被り岩の岸)から。「iso」は凪の時には現れ、時化になると水中に沈むような平たい岩のこと。

新駅名の由来:アイヌ語の「メナ」(mena:細い枝川)から。

11.真狩(まっかり)→狩太(かりぶと)→ニセコ

改称年月日:明治38(1905)年12月15日、昭和43(1968)年4月1日

旧駅名の由来:真狩も狩太も同一の地名から出ており、マッカリ川が尻別川に注ぐ川口がこの地にあり、「マㇰ・カリ・ペッ・プト゚」(mak-kari-pet-putu:後ろを回る川(マッカリ川)の川口)の川名から真狩の地名、そして真狩別太原野という名前が付いた。

真狩別太原野の中で明治34(1901)年に分村して成立した新村の命名の際に「真狩別太」から2字をとって「狩太村」としたため、駅名も村名に合わせて変更した。

新駅名の由来:町名から。ニセコ町の名はアイヌ語の「ニセィ・コ・アン・ヌプリ」(nisey-ko-an-nupuri:断崖に向かっている山;koは動詞の接頭辞で「〜へ」などの意を表す)により、上部をとってニセコ連峰としたものを町名にし、さらに住民の要請で駅名にした、国鉄初の片仮名駅名である。国鉄では当駅の他、石勝高原という人工的な地名を改称したトマム駅、そしてリゾート名であるマキノ高原から町名を取った滋賀県マキノ町にあるマキノ駅の3例の片仮名駅名があった。


12.蘭島(らんしま)→忍路(おしょろ)→蘭島(らんしま)

改称年月日:明治37(1904)年10月15日、明治38(1905)年12月15日

旧駅名の由来(忍路):アイヌ語の「ウショロ」(usor:湾)から出たといわれる。

新駅名の由来(蘭島):アイヌ語の「ラン・オㇱマㇰ・ナィ」(ran-osmak-nay:坂の後ろの川)による。蘭島も忍路も当駅の周辺の地名として現在も残るが、開業時は忍路郡蘭島村の所在であった。広域地名の「忍路」に改称したものの、明治38年に蘭島海水浴場が開場したことで「蘭島」に戻したものと思われる。結局海水浴場効果で、蘭島の名は全道に知れ渡ることとなる。

開駅時に蘭島駅としたのは、村名を取ってのことでもあるが、上記の海水浴場が明治36年から既に開発が始まっていたことにも関連するかもしれない。


13.小樽中央(おたるちゅうおう)→高島(たかしま)→中央小樽(ちゅうおうおたる)→小樽(おたる、2代目)

改称年月日:明治37(1904)年10月15日、明治38(1905)年12月15日、大正9(1920)年7月15日


14.開運町(かいうんちょう)→住吉(すみよし)→小樽(おたる、初代)→南小樽(みなみおたる)

改称年月日:明治14(1881)年5月22日、明治33(1900)年6月11日、大正9(1920)年7月15日


13、14項の旧駅名、新駅名の由来:

北海道最古の駅は改称時期も北海道最古。開運町の由来は詳らかでないが、願望地名と言われる。住吉は住吉神社(航海の神を祀る)が最初に創建されたことから。小樽中央は先に小樽駅(初代、現在の南小樽)があったが、これより小樽の街の中央側に駅ができたための命名。高島はアイヌ語の「ト゚カㇽ・シュマ」(tukar-suma:アザラシの岩)から来ている。小樽の名は「オタ・オㇽ・ナィ」(ota-or-nay:砂浜の中の川)から。


15.軽川(かるがわ)→手稲(ていね)

改称年月日:昭和27(1952)年11月15日

旧駅名の由来:涸れ川の転訛で、ガロ沢とも呼ばれた。

新駅名の由来:アイヌ語の「ティネ・イ」(teyne-i:ドロドロしている処)により、この近くに湿地がありその周辺に集落ができたためこれを村名としたが、駅は軽川と呼ばれた地区にできたので、村名と駅名が異なる状態が続いた。しかし駅周辺の発展により町役場(町制施行は昭和26年)も駅附近に移転し、駅改称と同じ昭和27年に行政地名の字軽川も字手稲に変更されている。手稲町(札幌郡)は昭和42(1967)年に札幌市に編入。


16.競馬場前(けいばじょうまえ)(仮停)→桑園(そうえん)

改称年月日:大正13(1924)年6月1日

旧駅名の由来:札幌競馬場の最寄りの停車場として設置されたため。臨時営業であった。

新駅名の由来:桑畑を拓き、この地で養蚕を奨励したことによる。

実質的には競馬場前仮停車場の代替、正駅化として桑園駅が開設されており文献によっては改称扱いとしているので本稿で取り上げた。

改称・正駅化に際し位置も移動しているが、書類上は競馬場前の廃止と桑園駅の新設という形になっている。


17.幌向太(ほろむいぶと)→幌向(ほろむい)

改称年月日:不詳

旧駅名の由来:アイヌ語の「ポロ・モィ・プト゚」(poro-moy-putu:ポロモイ川(幌向川)の川口、ポロモイは大きな淀み)から。川口に大きな淀みがある川なのでこの名で呼ばれたらしい。この一体を幌向原野と呼んでいる。

改称はフラグステーション(乗車客がいるときだけ駅係員がフラグ(旗)を掲げて合図し汽車を停車させ、乗車客も降車客もいない時は通過する形式の駅で、本来のステーション(当初は駅という日本語は鉄道に対しては用いておらず、ステイションや停車場(ていしゃば)などの呼称が使われた)に比べ簡易的な扱いだった。このこともあってか、幌向太から幌向への改称は期日が分かっていない。フラグステーション時代の明治19(1886)年以前と言われている。


18.旭川(あさひかわ→あさひがわ→あさひかわ)

改称年月日:明治38(1905)年4月1日、昭和63(1988)年3月13日

駅名の由来:アイヌ語の「チゥ・ペッ」(chiw-pet:瀬の速い川、現在の忠別川)を「chup-pet:日の川」あるいは「chupki-pet:日の上(東)の川」と混同され、和訳して「旭川」となったもの。「東川」も同語源。

読みは地名は一貫して「あさひかわ」であったが、官設鉄道が鉄道作業局に移管した際、「あさひがわ」として継承されたものと推測されている。改称にあたっての告示などはなく、どこかで誤って濁点が入ってしまったのかもしれない。


19.鹿部(しかべ)→鷹待(たかまち)→鹿部(しかべ)

改称年月日:昭和24(1949)年2月20日、昭和31(1956)年12月20日

旧駅名の由来(鷹待):鷹猟に使う鷹待がいたことによる。

新駅名の由来(鹿部):アイヌ語の「シカペ」(アホウドリ)によるという。アホウドリの多い地であったらしい。ちなみにタカは「シチカㇷ゚」。

この駅を含む渡島砂原回り(砂原線)は渡島海岸鉄道の既設線を母体としているが、起点を森から大沼に変更している。国有化に際して廃止された駅も多数あり、興味深い。

鹿部から鷹待への改称は国有化には関係なく、先にあった大沼電気鉄道が戦後再開したことでそちらに鹿部駅があったことから改称したものの、同線の廃止により再び砂原線の方が鹿部を名乗ることとなった。


20.砂原(さわら)→渡島砂原(おしまさわら)

改称年月日:昭和20(1945)年1月25日

駅名の由来:アイヌ語の「シャラ」(sar)から。sarは他地では「ヨシ原」の意味で使われることが多いが、ここでは「広い砂洲」の意であるという。

国有化に際し旧国名を冠した形だが、書類上は「砂原駅」の廃止と「渡島砂原駅」の新設という扱いになっている。



●松前線

1.碁盤坂(ごばんざか)→千軒(せんげん)

改称年月日:昭和47(1972)年3月15日

旧駅名の由来:坂の上に碁盤のような自然石があったからとも、松前侯がここに休憩して碁を打ったからともいわれる。

新駅名の由来:大千軒岳を望むことにちなむ。金鉱開発のために千軒もの家があったためといわれる。大地名への改称の一つ。



●瀬棚線

1.東瀬棚(ひがしせたな)→北檜山(きたひやま)

改称年月日:昭和41(1966)年10月1日

旧駅名の由来:駅開業時の村名から。瀬棚町の東隣にあって、明治35(1902)年に瀬棚村から分村して成立。瀬棚はアイヌ語の「セタ・ナィ」(seta-nay :犬の川)から。

新駅名の由来:所在する町名から。昭和30年に東瀬棚町は太櫓町と合併し新設した北檜山町の一部となり、当駅は北檜山町の代表駅となった。檜山地方の北部に位置することから。檜山は、往古当地が檜山であったことから、渡島国の郡名として建議されたのに発する和名。





以上、ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。

記事は次回に続きます。