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北海道の廃線跡探訪 第38回 名寄本線(7/7)中湧別~遠軽間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第38回 名寄本線名寄~遠軽間その7 中湧別~遠軽間です。
中湧別で90度曲がった名寄本線は、湧別川をさかのぼるように内陸部へ向かい、遠軽へ達していました。
この区間は、道路化されているところ、放置されているところなどさまざまですが、残っている駅舎はなく、保存車輌もありません。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.中湧別~共進
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名寄本線は湧別方と同様、中湧別から一直線に上湧別へ向かう。こちらも構内を出ると北湧まで、立派な舗装道路となっている。
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1966(昭和41)年10月仮乗降場として設置、JR発足時に昇格した北湧も、「湧別町立郷土博物館 ふるさと館JRY」西側の駐車場となっている。
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北湧から路盤はいったん農地となるが、すぐ道路に変わり、上湧別手前まで続いている。
上湧別は駅前の大きな木がそのまま残っているだけで、旧構内には農業施設などが建っている。
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上湧別からも路盤は舗装道路となっているが、未舗装の作業道に変わった後、農地化されている。用水路の橋も道路化のため架け替えられていた。
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1955年12月一区中通仮乗降場として設置、1959年11月昇格と同時に改称された共進は、農場の一角の空き地となっていた。
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3.共進~遠軽
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共進から路盤は、共進川に沿った作業道となっているところもあるが、衛生センターの手前から舗装道路に変わる。
やがて急勾配となる道路とわかれ、路盤はヤブとなって湧別川へ向かっていた。
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第2湧別川橋梁にも跡はなく、低くされた開盛方の築堤が残っているだけで、その先も農地化で路盤は消えている。
湧別軽便線社名淵時代、1年あまり終点だった開盛は、防雪林に面影を残すだけの空き地となり、地元の人の寄贈による「名寄本線 開盛驛跡之碑」が建てられている。
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開盛から国道までの路盤は舗装道となり、国道の開盛跨線橋は撤去・平面化されている。
国道の先も路盤は舗装道として続いているが、やがて農地化されている。
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社名淵川の堤防をたどってみたが、社名淵川橋梁の痕跡はなかった。
社名淵川を渡り遠軽町に入った路盤は、やがて用水路に沿ったヤブとなり遠軽市街へと一直線に南下する。
学田仮乗降場として設置され、1959年11月駅昇格と同時に改称された北遠軽にもなにもない。
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丘に沿うようになった路盤は、住宅地の裏手の築堤となっていく。
築堤へ上ってみると、クルマも通れそうな状態だった。
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4.遠軽
歴史的な経緯から石北本線がスイッチバックとなっている遠軽は、戦前からの風格ある駅舎が一段高いところにある。
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名寄本線は一番手前の0番線も使っていたが、線路はないものの、ホーム自体はそのまま残されている。
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駅構内の裏手には、色あせた転車台が残っているが、名寄本線の9600形や石北本線のD51形が煙を上げていた扇形庫は姿を消し、広かった構内はさびしく見える。
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今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は湧網線を予定しています。