国鉄時代に直流電機のスタンダードとして量産されたEF65形。一般形0番台のうち128号機は岡山機関区で活躍した晩年、最終型で3色塗り分けのJR貨物色・更新色の機関車として、僚機の121号機とともに注目されました。

 

 

20年前の春、山陽本線を走るEF65 128。直線形状のスカート・3色塗り分け塗色の組み合わせは、当時意外と少数派でした=厚狭—埴生、2004年

 

 

 

1965(昭和40)年から5年間にわたって製造されたEF65形0番台。70年7月29日に落成した128号機を含む最終タイプの121〜135号機は、同時期に登場した1000番台の影響もあり、直線形状のスカート、熱線入り前面窓の外観に変わりました。

 

また、前面の裾部踏み板も短く、手すりの内側までとなりました。

 

 

 

89年から行われた更新工事でEF65形0番台は、スカイブルーとディープブルーの2色にライトパープルを組み合わせた、JR貨物色・更新色と呼ばれる軽快な装いに変わりました。128号機は94年6月に施工されました。

 

EF65形0番台最終型は元々大所帯でなかったため、2000年代半ばまで残っていたのは7両ほど。その中で3色塗り分けの更新機は121、128号機のみだったため、地味ながらも注目されました。

 

 

【参考】EF65 88。128号機と同じ0番台ですが、スカートの形状が丸く、手すりの外側まで延びた裾部の踏み板など差異が見られます=幡生操車場、2003年

 

 

 

128号機は2007年3月30日付で廃車となりました。その異動歴を見ると、広島機関区に新製配置後、吹田第二機関区(72年)、沼津機関区(84年)、稲沢機関区(86年)、岡山機関区(96年)と、一貫して東海道・山陽筋で活躍していたようです。

 

37年にわたって主要幹線で足跡を残したのは、それだけ信頼され安定した機関車だったのでしょう。

 

同じEF65形でもブルートレインで活躍した「主役」の500番台(P形)、1000番台(PF形)に隠れた存在の0番台。

 

私はいつも「ついで撮影」でしたが、黙々と仕事をこなした128号機のような存在には親しみを感じます。今ならブルトレ以上に目を向けていたことでしょう。