かつて東京—西鹿児島間の約1500キロを約22時間かけて走った寝台特急「はやぶさ」。日本最長距離特急となった昭和50年代後半、EF65形1000番台(PF形)がヘッドマークを付けた姿は鉄道少年に人気がありました。

 

東海道・山陽本線を一晩かけて走って来るブルートレイン。私が以前住んでいた山口県防府市では「さくら」から「あさかぜ3号」まで、6本を見ることができました。

 

2番目にやって来る「はやぶさ」は防府駅を早朝6時45分頃に通過。下りは夕方に出発、上りは午前遅くに着く首都圏に比べ、山口県央部では撮影のハードルが少し高い列車でした。

 

 

それまで眺めるばかりだった「はやぶさ」を初めて撮影した時の一枚。はやる気持ちを抑えられなかったのか、シャッターを切るのが早すぎました(失敗写真ですが、昭和50年代の地方都市風景としてお楽しみください…)

 

 

 

当時小学生だった私は早起きを頑張って、防府駅西側にあった小さな踏切で「はやぶさ」を撮影しました。家のカメラを持ち出し始めたばかりの頃で、現像を終えて手元に戻ってきた写真は構図もシャッター位置もひどいものでした。

 

それでも当時の日本最長距離特急で、鉄道好きのクラスメートの間では一番人気だった「はやぶさ」を写真に収めたのは、ちょっとだけ自慢でした。

 

初めて「はやぶさ」を撮った1984年4月22日から、きょうでちょうど40年。私的な記念日を振り返ってみると、昭和のブルトレがどんどん遠い過去になってきていることを実感します…。

 

 

 

 

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