廃線となった根室本線・富良野~新得。金山~東鹿越~幾寅の区間はかなやま湖の脇の平坦な場所に線路が敷かれています。
一方国道38号線は山部~幾寅の区間は線路と並行せずに延びて、幾寅市街の手前に峠があります。
樹海峠、幾寅峠、三の山峠など呼び方が色々あります。
一応国道の看板では三の山峠とありますが、公式文書でも樹海峠や幾寅峠の表記があるので、歴史とともに名称が変化したのかもしれません。その移り変わりは調べた範囲では不明のままです。
今は登り車線が2車線で登坂車線・走行車線に分かれていて、カーブが緩やかな快適な峠ドライブです。
そうなると、峠の駐車スペースに寄ることがなくなりました。
かつては大型車が多い道で追い抜き禁止区間が長く続くので、駐車スペースでひと休みすることがよくありました。
峠の駐車スペースには石碑が2つあります。
1つは鳥獣魂碑、もう1つはハチ公碑。
ハチ公碑は諸説ありますが、だいたいの流れを簡単に。
1970年代の話。峠に1匹の犬がいました。
おそらく峠に捨てられたのでしょう。犬種はアイヌ犬(北海道犬)だったと言われています。
黒い乗用車が来ると追いかけていたというので、飼い主の車が黒い車だったんだろうと言われていました。
峠で食事をとる長距離トラックのドライバーから「ハチ」と呼ばれ、弁当を分け与えてもらいながら暮らしていました。
ハチの噂は広がり一般のドライバーも立ち寄りご飯を持ってきたり、多くの人に見守られていました。
ただ、みんながハチのことを知ってるわけではありません。
そして365日決まった量のご飯にありつけるわけでもありません。
ある冬の日、吹雪の中。一般のマイカーはほぼ走れないほどの日。
1台の大型車が駐車エリアに入ってきた。
ハチはようやくご飯をもらえると車に近寄った。
でもその車のドライバーはハチがそこにいることを知らなかった。
吹雪で視界が悪いなか、思いもしないハチの飛び出し。避けることができなかった。
山の中で2年ほどの暮らしが終わりました。
ハチを可愛がってきたドライバーたちの寄付で石碑が建てられました。
今も黒い車のご主人を待っているのかも。
麓の幾寅市街にある道の駅にドッグランを作ったと聞いたとき、ハチのことを思い出した人が多かったと聞きました。
地元では、まだハチの伝説は風化していないんでしょうね。