NO.3019 島原鉄道の諫早地区の拠点駅でもあります、諫早駅から往復利用による本諫早駅訪問記録 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 島原鉄道の鉄道線(島鉄・島原鉄道線)は、長崎県諫早市の諫早駅から、島原市の島原港間を結ぶ全長43.2キロの路線でありまして、上の画像のキハ2500形気動車によって運行されております。

 

 この島原鉄道線と言いますと、以前は島原半島の南側であります南島原市の加津佐駅まで運行されておりましたが、平成20年に「南目線」と呼ばれました島原外港(現・島原港)駅から南の区間が廃止されておりまして、現在はその諫早駅~島原港駅間で運行されるに至っております。

 

 また、この島原鉄道線では、令和元年に9駅が改称されておりまして、上の画像1の撮影駅であります島鉄本社前駅が霊丘公園体育館駅に、画像2の車庫もあります南島原駅が島原船津駅に、そして先述のように島原側末端駅でもあります島原外港駅が島原港駅に改称されているなどの動きが見られております。

 

 (諫早駅運賃表より)

 

 この運行形態では、諫早~島原船津・島原港間で計平日19往復・土日祝日18往復で運行されておりまして、データイムでは1時間おきで運行されておりまして、並行するバス路線とともに、重要な足としての姿が見られる事が伺わせております。

 

 

 さて、今回ご紹介しますのは、この系統の中には1区間であります諫早~本諫早間の系統も存在しております。今回は今回訪問時にその1区間利用を行いましたので、過去の撮影画像とともに皆様にご紹介してまいります。

 

 

 この諫早~本諫早間の系統は、島鉄の鉄道事業では諫早地区の拠点駅でもありますし、諫早市役所と言う行政の中心となる所の最寄り駅でもあります、諫早駅の隣駅の本諫早駅へ運行されておりまして、諫早駅発14本・本諫早駅発13本で運行されております。したがって、先述のように諫早~島原船津・島原港間の本数を加えますと、以下画像のように1時間に2~3本で運行される時間帯も見られております。

 

 (諫早駅時刻表)~このうち14本が本諫早行きです

 

 

 さて、ここからは乗車の模様をご紹介してまいります。画像は島鉄の諫早駅でありますが、平成30年に上の画像にもありますJRの新たな橋上駅舎が設けられた事に伴いまして新たに島鉄の窓口が設けられておりまして、これによりまして旧駅舎時代JR化後に委託していた事で共通化していました出札が再びJRと島鉄とが駅が分離されておりまして、旧駅舎の隣にかつて設けられておりました駅舎以来、駅員もこの駅で配置されております。尚、令和元年に「雲仙・島原口」という副駅名も設けられております。

 

 また、ホームもこれまではJR1番ホームの左側に旧0番ホームが設けられておりましたが、現在は以下画像のようにJRホームの対岸に別に0番ホームも設けられておりまして(既に仮駅舎時代に設けられておりました)、こう言った所から、よりJRと島鉄が別々になった事を伺わせております。

 

 (平成30年撮影)

 

 

 こうして、本諫早行きの列車に乗車しました。この時は私を入れましても3名程度でありまして、そんな中でも区間列車が運行されている事が伺えました。やはり、後述のように路線バスも運行されている訳ではありますが、所要時間もわずか3分でありますし、運賃も150円とバスよりも安いですので、となれば1区間でも列車を選ぶ方が少なからずいらっしゃる事が伺えるのではないでしょうか。

 

 この列車の運賃表です。島原鉄道自体が長崎バスグループになっておりますので、運賃表もその下の画像にありますこれまでのデジタル式からレシップ製の液晶運賃表(OBCビジョン)に変わっている事がわかります。ただ、1区間であるがゆえに使用されていない事もわかるのではないでしょうか。

 

 (過去撮影)

 

 また、先述のように9駅も駅名変更を余儀なくされておりましたので、これに伴いまして行先表示器の幕に変更が見られております。それにしても、以前は30コマ以上入っていました方向幕も20コマ足らず、特に「南目線」も存在していただけに、そうした姿が見られないのも残念ではありましょうか。

 

 (現在)

 

 (過去)

 

 

 さて、列車はあっという間に本諫早駅にやってまいりました。到着前には副駅名でもあります諫早市役所の姿が見られておりまして、諫早市役所が駅に近い所にある事が伺えるのではないかと思います。

 

 列車は、本諫早駅に到着しました。この時乗車しておりましたのは、「赤パンツ列車」とも呼ばれますキハ2500形気動車の2505号でありました。この塗り分けは、過去に存在しましたキハ55形気動車でも存在しておりましたが、その復刻版である事がお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 (本諫早駅・駅名標)~諫早市役所前と言う副駅名もあります

 

 

 こうして本諫早駅にやってまいりましたが、ここでこの駅に関しましてご紹介します。この駅は島原鉄道の諫早駅よりも早く開業した駅でありまして、明治44年6月に開業した駅でありまして、その2か月後に島鉄の諫早駅が開業しております。それ以来、駅の近くに市役所などがある中心市街地になっている事もありまして、利用者も多い駅へと成長してもいる事から、この列車のように諫早~本諫早間の区間列車も運行されるようにもなっておりますし、本諫早駅が諫早地区の拠点駅として存在するにも至っております。

 

 尚、この駅の所には画像にもありますように本諫早駅前のバス停も存在しておりまして、島鉄バスや長崎県営バスが停車しております。こういう所からも列車とバスが並行している事も伺える所でもあります。

 

 

 さて、今回本諫早駅に訪れておりましたのでご紹介しますが、駅舎は2階建てで有人駅となっておりまして、1階に駅事務室が設置されておりますし、乗車券の自動券売機も画像奥にありますように設置されているのもおわかりいただけるのではないかと思います。

 

 尚、以前は島鉄観光の旅行センターもこの駅構内に設けられておりましたが、平成31年4月に旅行事業が廃止された事に伴いまして、旅行センターは閉鎖されております。その代わり、待合スペースが広くなっておりますし、自動販売機も置かれている事がお分かりいただけます。

 

 また、島鉄には「鉄道むすめ」もいらっしゃいまして、「神代みさき」の姿も見られております。もちろん、架空のキャラクターではありますが、それでもこの島鉄の宣伝には一役買っている事には間違いないでしょうか。

 

 

 以下画像は本諫早駅のホームであります。この駅は2面2線のホームとなっておりまして、主に1番ホームにこの駅の諫早駅への折り返し列車に島原方面のホーム、2番ホームに島原方面からの諫早駅行きとなっております。列車が発車する際には、駅員がいらっしゃる場合には必ず駅員が立たれまして、発車を見送る姿を見る事ができております。

 

 (過去撮影)

 

 

 また、この駅の諫早方には留置線が存在しておりまして、この部分でも諫早地区の拠点駅であるとともに、諫早~本諫早間の区間列車も運行されているだけあるような姿も見られております。

 

 実際に、上の画像・以下画像にありますように2本存在しているのがわかりますが、外側の留置している部分につきましては2両以上の留置は可能でありますが、内側の留置線に関しましては、1両分しか留置できないようにもなっております。

 

 (上の画像を引いた姿)

 

 では、過去の画像より留置線転線・留置線入線後の姿をご紹介しますが、この本諫早駅でのホームから留置線の転線に関しましては上の画像にありますように2番ホームより入る事になります。したがって、1番ホームにつきましては、上の画像からもわかりますように、配線上からも直接留置線への進入はできないようになっております。

 

 (留置線進入前)

 

 (留置線進入後)

 

 (留置車両)~キハ2500形気動車2503号

 

 

 ここからは、諫早駅へ戻る模様をご紹介してまいります。ここでは乗車券を購入しまして諫早駅に戻る事になりますが、上の画像の券売機で購入しまして改札口に入る事にもなります。改札に入りますと駅員の方から切符を切るようにもなりますが、そのように切符を切るパターン自体少なくなっただけに貴重なものになったのも伺える所ではあります。

 

 (アップ)

 

 

 車内から、本諫早駅留置線であります。レールの状態からも見まして、普段使用されておりますのが奥の留置線でありまして、手前の留置線は錆びている部分が見られる事から使用されてはいないようであります。

 

 

 こうして、一区間でもあります本諫早駅にわずか3分で着きまして戻ってまいりました。この後列車は島原港行きとなりまして折り返す事になります。

 

 

 今回は、島原鉄道の諫早地区の拠点でもあります本諫早駅に関しまして、今回撮影画像・過去の画像よりご紹介しましたが、この本諫早駅は、駅自体のホーム自体が2面2線しか存在していなくても、車両の留置線がある姿や駅事務室などと言ったものもある所を見ましても、この駅自体が諫早地区の拠点駅であると言う姿が伺える所でもあります。やはり、JRでしたら諫早駅、島原鉄道でしたら本諫早駅と言う所も見られておりますのでわからなくはない所ではありますが、今後も、この形態は変わらないのではないかとは思いますが、これからも引き続き諫早地区の拠点駅としての姿を見せていただきたいと思います。

 

 (注)今回の内容は、令和6年2月の記事を新たに訪問した事で再編集を行っております。