北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅は、退避設備はなく、2面2線のシンプルな構造でした。

ホームから立山連峰の山々を眺めているうちに、新幹線が入線してきました。

 

ここから1時間ほど乗車して、長野へ向かいます。

 

今日の宿泊は、大宮にしているので、目的地だけでいえば、そのまま乗っていれば、大宮に着くのですが、車窓風景を楽しみたいので、長野で下車して、篠ノ井線、中央本線経由で大宮へと向かうことにしました。

 

新幹線のシートでまったりしているうちにあっという間に長野。

 

長野駅でも学生時代の思い出がいくつもあります。

 

学生時代の先輩が国鉄全線完乗を目指しており、ちょうど私が大学1年の時に長野駅で完乗ということが決まり、完乗後にここからバスで1時間ほどの鬼無里温泉で歓迎会を催すということがありました。

僭越ながら、私が歓迎会の幹事を務め、当時の長野駅長様にも挨拶をしたりもしました。

 

今は新幹線も開通し、駅舎も大きく様変わりしましたが、私にとっての長野駅は、当時の風景の方が、しっくりきます。

 

私自身は、国鉄がJRになった段階で、国鉄全線ではなく、日本の鉄道完乗を目指すようになりました。

ただ、学生時代に8割程度まで乗ったものの、社会人になり、とにかく多忙で鉄道に乗るというよりも、旅自体がほとんどできない状態が続きました。

 

当時は、(今でもかもしれませんが)終身雇用が当たり前で、残業や休日出勤をすることが美徳とされる時代でした。それでも、私は、仕事を精一杯することを前提として、目標としては、

「自分が意見を言える立場になって、有休休暇を全部消化できる組織にしたい!」

と思うようになりました。

まずは、自分がいる組織をきちんと休める体制にし、業務に支障なく少しずつ休めるようにしていったものです。

なんか今回の旅は、私の社会人人生を振り返る旅のようになってしまってますが、学生時代の社会に対しての想い、社会人になってからの(微力ではありますが)自分の努力がどれほど社会に対して貢献できたのだろうかという感慨も交雑します。

時間の流れを思うと、空しくもあり、ある程度の達成感もありと複雑な思いを抱いてしまいます。

 

もう一つの忘れられない思い出としては、といってもどうでもいいようなことなのですが。。。

 

今日はこの後、日本三大車窓の一つ姨捨に向かう予定ですが、学生時代に一度、この姨捨にサークル(鉄道研究会)の仲間と長野市内から車で向かおうということになりました。車2台で向かったはいいものの、途中の大渋滞で行くことを断念。それじゃあ戻ろうということになったのですが、次にどこへ向かうかを決めないままUターンしてしまったのです。

まあ、前の車についていけばいいと思ったところ、途中ではぐれてしまい、途方に暮れてしまいました。

今では、携帯でやり取りができるので、こんなことはないでしょうが、当時はちょっとした連絡をとるにも大変だったのです。

 

それで一計を案じ、どこに行けば会えるかを考えた末、

「長野駅に行こう」

という結論に達しました。

というのは、私たちにとってのランドマークは駅しかなかったので、変に気を利かせて次に行く場所を想像しても会える確率は高くない。それであれば、一番目印とできる場所は、長野駅だろうと思ったわけです。

 

というわけで、長野駅に向かってみると。。。

 

果たして、もう仲間が車から降りて手を振っていたのです。

連絡手段がない中、相手も同じことを思っていたことが非常に嬉しく思ったものです。

 

ミステリ小説で、敵に捕まって連絡が取れない中、仲間が相手の考えを読んでそれに合わせて自分が行動し、見事敵から逃れられたという話を読んだことがあるのですが、これと似たような、心理トリックが解明されたような爽快感を感じました。

 

ということで、次回は姨捨方面へ向かいます。


写真は長野出発直後に停まっていた湘南色115系です。




 

次回へ続く