富良野~新得の区間が廃線となりました。

 下金山駅から落合駅までの区間は南富良野町の駅となります。

 

 下金山駅周辺には大きな集落はありません。

 都会の人は、こんな人のいない場所になんで駅があるの?という思いだったでしょうね。

 

 駅前に大きなビルやマンションが立ち並ぶ中に駅がある景色に馴染んでいる人にはそう見えるでしょうね。

 道庁のデータによりますと、北海道の農家1戸平均の耕地は30.2㏊。1㏊は100m×100m。

 都会ではこの広大な面積にどれだけの家が建つんでしょう。

 数千人、数万人の人口いる範囲に1軒という農村。乗り降りするお年寄り、学生が貴重な1人。

 

 都会と田舎を同じテーブルでカウントする自称テツって、どこかの知事のような差別意識丸出しです。

 いつも使う鉄路じゃないけどいつか使う鉄路をどうやって守るのかを論ずることなく「乗らない線路は潰せ」という答えありきの意見に乗るだけのテツって、私は好きじゃない。

 

 

 

 駅前に数軒、農協や集会所もあります。駅は広い範囲に散らばる地域の人たちの集まりやすい場所にあります。車で10分20分、冬なら30分くらいかけて集まる人もいるのかも。

 通学生を親が駅に迎えに来ているシーンを見ました。誰も使わない駅ではなく誰かが使っている駅でした。

 山部から金山が開通したのが明治33年12月2日。その後下金山地域の開拓が始まったのと、近くの東大演習林から木材搬出を目的に駅の開設を願い出て大正2年10月1日開業となりました。

 富士製紙専用軌道を買収した東大演習林からの軌道は「通称・西達布本線」と呼ばれ、本格的な輸送で機関車を導入したものの橋梁が手押し貨車対応のもので、橋梁部分は貨車を手押ししたという微笑ましいエピソードがある軌道でした。

 もしも、演習林が国立大ではなく民間だったら……駅は出来ていたんだろうか?妄想テツとしては、「もしも」という想像が大好物。阪神ファンとしても「たら」「れば」は大好き。

 

 そんなネタ満載の下金山駅。

 

 駅名標が枠だけになって。やはり廃線になったんだなと思ってしまいます。

 最終列車が出てすぐに駅名標外して、待合室の時刻表外して……。チョッと雪が降ると作業員がいないから運休ですというJR北海道の言い分って本当か?廃線の時の作業員が各駅で一斉に作業するのを見ていると、けっこう人いるべや!と思うんです。

 

 

 写真に上手く写らないけど、壁に飾られている千羽鶴。

 きっといつか利用していた人が駅に感謝して折ったものでしょう。

 施錠されて入ることができません。北海道弁でいう「ジョッピンかってる」状態。

 次に「ジョッピンあける」時は、取り壊しの時?だったらズーっとジョッピンかってていい。

 

 小さな小さな集落の中にあるのに、使われていない構内が広い。

 そんな理由が歴史を紐解くと出てくるから駅って面白い。

 でも駅を廃止しちゃうと忘れてしまう。後世に伝えていくのもテツの役目。

 

 な~んて、マニアックな駅好きの講釈でした。