番外 閉所になってからは10年、平成26年閉所前後に見られていました、旧長崎車両センター周辺紹介 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)


 
 長崎の玄関口でもありますJR長崎駅は、ご紹介しておりますように令和2年3月に隣の浦上駅までの間の高架化が完了しておりまして、これによりまして複数の踏切が廃止されるに至っております。
 
 この長崎駅は、「JR長崎本線連続立体交差事業」の一環として高架化されたものでありまして、長崎駅構内にありました留置線は長崎駅の北側に移転されておりまして、特に旧幸町踏切があった所の上部には広い留置線も設けられております。
 
 また、この高架化のきっかけとなっております西九州新幹線も令和4年9月23日に開業しておりますので、新幹線まで来る事になりますと、より様変わりする事になるのではないかと思われます。
 
 現在は、駅自体もホーム等も含めまして完成しておりまして、既にN700S系新幹線電車によります「かもめ」も運行されております。やはり、新幹線の存在は大きいと言えるでしょうか。
 
 
 さて、今回ご紹介しますのは、今から10年前、この高架工事前に存在しておりました、旧長崎車両センターの廃止直後の姿に関しましてご紹介してまいります。
 
 
 旧長崎車両センターは、ちょうど10年前の平成26年3月の改正で廃止されておりまして、現在検修機能に関しましては佐世保市にあります早岐駅に隣接しております佐世保車両センターに移りまして現在に至っております
 
 けれども、旧長崎車両センター廃止後も本元となっておりました長崎鉄道事業部は引き続き残されておりましたが、新幹線開業前の令和4年6月からは新幹線乗務員も含めました新たな乗務員基地として長崎総合乗務センターが開設されておりまして、長崎鉄道事業部・佐世保運輸センターは廃止となっております。
 
 尚、運用上の関係から長崎車両センター廃止後も、長崎駅構内には留置機能は残されておりまして、YC1系気動車が多く留置している姿がありましたり、以前は415系電車・885系電車・787系電車などの電車が旧幸町踏切上部にて昼間・夜間に留置している姿もあったなど、車両の留置している姿は終日見る事はできるようになっております。
 
 (JR九州長崎支社)~高架下にあります
 
 (旧長崎鉄道事業部建物)~現在はありません
 
 (長崎駅留置線)~令和2年2月撮影、平面ホーム時代
 
 (同)~高架化後、令和3年車内より撮影(現在電車が来る事はありません)
 
 
 ここからは、平成26年の廃止前後に撮影しました画像を使用しましてご紹介してまいります。以下画像は、同年3月の長崎車両センター閉所前に撮影しておりました気動車留置線であります。この留置線では、画像のように多くのキハ200系・キハ66・67系各気動車が留置されている姿が見る事ができまして、まさに長崎車両センターならではな姿を見る事ができておりました。
 
 
 そして画像が廃止後に撮影しました留置線であります。この時には、キハ66・67系気動車の「国鉄塗装」の姿も見られておりまして、見ていて懐かしいような姿も見られておりました。確かに、キハ66・67系気動車自体も、長崎地区でしか見られない列車でもありましたので、この姿もわからなくはないような印象でもあります。
 
 そんな中でも、この撮影時にはキハ200系気動車の両運転台版でありますキハ220形気動車(画像は-208)に関しましては、日中長崎駅構内で留置されている姿も見る事ができておりましてそういった「長崎メイン」の姿も見る事ができるようになっておりました。現在はキハ200系気動車自体長崎地区では見られませんので、今となれば貴重な姿でもあります。
 
 
 こちらの画像は、長崎車両センター閉所前の電車留置線でありますが、ここで特に早朝など電車にはなくてはならないパンタグラフの点検が行われている姿を見る事ができておりました。
 
 (別角度)
 
 しかし、廃止後の撮影時は上の画像にもありますその端側の線路の部分が使用されなくなっておりまして、その部分に雑草が覆われておりました。その後令和2年高架前直前の姿が上の画像及び以下画像ではありますが、その後高架化に至る事にもなりますので、時が経過しますとここまで変化が生じるのかと思う所ではあります。
 
 
 こちらの画像は、南側より撮影しました、高架化工事によりまして姿を消しました検修棟であります。廃止前の撮影時には、画像にありますようにキハ220形気動車が留置されておりましたが、検修棟では稼働している姿はありませんでした。そんな検修棟も、かつては気動車の他に817系電車、そして「ブルートレイン」用の14系客車もここに入っている姿を見る事ができておりまして、様々な車両が検修されていた事が懐かしい所であります。
 
 また、転車台もありましたが、この転車台も工場入出場時に方向転換する際に活躍しておりました。かつては機関車・客車の転車がメインであった訳でありますが、末期も気動車が転車する姿が見られたのはよかったのではないかと思うほどでありました。尚、転車台は長崎支社内では佐世保車両センターで見られておりまして、先述のように工場入場時に転換する姿も見られております。
 
 
 そして、平成26年閉所直後の姿であります。この撮影時、検修棟や転車台自体は残されておりましたが、その周囲には雑草が覆われておりまして、正直残念な所ではないかとも思う所でありました。尚、この地も高架化工事によりまして姿を消しております。
 
 (雑草に覆われている、検修棟周辺)
 
 (同、転車台周辺)
 
 
 一方、場所は変わりまして画像は長崎駅に近い所にありました旧幸町踏切であります。先述のように、旧幸町踏切付近の上部は上の画像のように留置線が設けられましたが、そんなこの旧幸町踏切では、当時長崎駅の貨物ホームへの線路が貨物列車の廃止後も残されておりましたが、その後閉所前の訪問時には線路が撤去、さらにその下の画像の閉所後にはかつての線路があった事が伺わせる事ができなくなっておりまして、やはり長崎車両センター閉所から時間も経過していた事もありまして、面影も少しづつ消えつつある事を伺わせておりました。
 
 (閉所後撮影)
 
 
 そんな中でも、この旧幸町踏切では、この撮影時列車の行き来が見られておりました。画像は現在長崎地区では見られませんキハ200系気動車の佐世保行きでありますが、雑草も生えつつあるこの部分をゆっくりと通過しまして、踏切を進みましてから加速して諫早・佐世保方面へと進んでおりました。しかし、現在は踏切自体姿を消しておりますし、車両の変化も見られておりますので、撮影スポットでもありましたこの踏切周辺も最終的には大きく様変わりする事になりました。
 
 
 今回は、ちょうど10年前の平成26年に閉所されました旧長崎車両センターの閉所前後の周辺の姿をご紹介しましたが、以下画像の時点でも旧長崎車両センターが閉所してしまった事が伺わせていたように思ったほどでしたが、その後は冒頭ご紹介しましたように高架化工事が進行しておりまして周辺の名残も見られなくなってしまっております。それほど月日を感じさせられる所ではありますし、さらに各地で変化も生じた事から、かつての姿も見えなくなっているのが現状ではありますが、高架化されております現在も過去にそう言った姿が見られていた事を忘れてはならない所ではあります。