みなさんこんにちは。前回からの続きです。

3月16日の「北陸新幹線 敦賀〜金沢間開業」と入れ替わり、長年親しまれた在来線特急が姿を消した、敦賀から先の「北陸本線」。


全国的にも稀少な「特急街道」を最後に味わいたいと、大阪発「特急サンダーバード」に乗り、昨年11月に石川・金沢周辺をさまざま日帰り乗り鉄した際の道中記をお送りしています。



ただいま「鶴来駅(つるぎえき、石川県白山市)」。金沢市内のターミナル、野町から「北陸鉄道(北鉄)石川線」に揺られるほど約30分、同線初の乗り鉄を終えたところです。



さて、前回記事でも触れましたが、鶴来とまりのこの「石川線」が、かつてはさらに南下していたことについて、引き続いて掘り下げてみることにいたします。



出典は同じく「国鉄監修 交通公社の時刻表 1985(昭和60)年3月号」より。




鶴来から先の区間「加賀一の宮駅」までは2009(平成21)年11月に廃止。路線はさらにその先の「白山下駅」にまで達していたのがこの頃。


金沢市内から郊外に延びる路線ということで、遠ざかるとともに列車は暫減して行くことがわかります。列車の運行上では「鶴来駅」と「加賀一の宮駅」が境になっていたよう。


鶴来までは日中は30分おき、加賀一の宮までは60分おき。その先、白山下まではさらに本数は減り、1時間以上列車が空くような状況だったこともわかります。

加えてこの頃は、昼間時にはバス代行が採られていたようで、なんとも寂しいものです。



さらに沿線は並行する「手取川」の峡谷というので、幾度にわたって水害に悩まされていたようでした。

1983年(昭和58年)

10月31日:豪雨による大日川(だいにちがわ。手取川水系の一級河川)橋梁の橋脚周囲の岩盤崩壊により、大日川駅 - 白山下間が休止。


1984年(昭和59年)

3月11日:復旧により営業を再開。 

12月12日:手取川橋梁が危険な状態となったことにより、加賀一の宮駅 - 白山下間が休止。バス代行となる。



1987年(昭和62年)

4月29日:加賀一の宮-白山下間廃止。出典①。


しかし、車窓からの眺めは実に素晴らしいものだったといいます。簡単にいうとなんですが、もし現存していれば、風光明媚な登山電車として人気を博していたのかも知れません。



ちなみに、白山登山の玄関口だった「白山下駅」からまだ先に進んでみると、果たしてどこに辿り着くのか。「国道157号線」に沿うのですが…



「石川線」に乗ってここに至る前、金沢駅から「北鉄バス」で始発の「野町駅」に向かっていた道。これが「国道157号線」だということを思い出しました。


石川・福井・岐阜三県をつなぐ重要な国道だといいますが、拓けた街なかの様子だけではどのような性格の道路なのか、わからないものですね。少し驚きます。


さて、「国道157号線」が白山の山々を越えたところには「福井県立恐竜博物館」が!

新幹線の敦賀開業も重なり、大変な人気になっている博物館です。
ということは、ここは勝山や越前大野付近。


出典の路線図を確かめますと、デフォルメされているとはいえど、意外にも?近いのですね。


当時は国鉄、分割民営化(JR発足)2年前。

「越美南線(えつみなんせん)」は現在「長良川鉄道」。そして、大垣(岐阜県)につながる「樽見鉄道 神海(こうみ)駅」もさほど遠くありません。県境が集う場所に近かったのですね。



ところで、先日より取り上げている廃線区間のうち「鶴来〜加賀一の宮間(2.1km)」の所属は「石川線」。


しかしながらその先、約2年半ほどの休止(バス代行)を経て、昭和62年に廃線となった「加賀一の宮〜白山下間(16.8km)」は、金沢方面から直通していながら「金名線(きんめいせん)」と名乗る、区別上では別路線でした。



ただ「金名線」だといわれても、途中に経由する駅々にそのような名称はありません。

さてはてと思うのですが、調べてみますと「金」は「金沢」。そして「名」はなんと「名古屋」のことを指していたのでした。


都合、金沢から白山を越え、福井県の越前大野を経て岐阜県に入り名古屋へ向かうという、前進の会社「金名鉄道」創設時の構想に基づいた路線名称だったのだとのこと。


大変壮大な計画だと感じるのですが、実際に金沢・名古屋間に路線を敷設しようという意図は必ずしもなかったようで、投資家の注目を集めようとしたことからの社名・路線名称だったようです。しかし、それでもすごいものですね。




「北陸新幹線」の敦賀開業までは、奇しくも特急街道「北陸本線」を経由して「特急しらさぎ」が結んでいた金沢・名古屋間なのでした。


発車を待つ「金沢ゆき特急しらさぎ」。全便「JR西日本」車両が充当されている。この春からはすべて「敦賀ゆき」。名古屋にて、2017(平成29)年6月、ブログ主撮影。



それでは、終着駅となって15年ほど経過したという、この「鶴来駅」から先に延びていた路線跡を少しばかり探索してみることにします。


廃線から時間が経ってはいますが、痕跡は果たして遺されているのでしょうか。楽しみです。



次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「フリー百科事典Wikipedia#白山下駅」を一部編集)