JR九州のキハ31形気動車は、国鉄分割民営化の直前であります昭和61年に登場しておりまして、以来JR後も製造を続けまして、最終的には23両が製造された気動車でもあります(うち1両がくまがわ鉄道に譲渡→その後廃車となっております)。
このキハ31形気動車の特徴と言いますと、「バス=列車」と言ってもいいような形であるのが特徴でありまして、実際にキハ31形気動車のドアはバス用の折戸式である事、車内の機器類に関しましてもバスの部品が使用されている事が上げられております。
また、これら車の一部には廃車発生品を使用されておりまして、特に座席に関しましては後述のように0系新幹線電車の廃車発生品も使用されておりまして、シート配列も一部車は3列シートとなっていたのが特徴でもありまして、この結果、車の製作費自体も安く済む事もありますので、最初の導入が国鉄末期でもありますので、当時の国鉄の財政難も関係しているのではないかとも思われるようでもあります。
しかし、車両自体も老朽化が進みまして、そのため筑豊地区に運行されておりました車両が819系蓄電池電車に置き換えられたために廃車となっておりましたし、最後まで残りました伴車2両もキハ40系気動車に置き換えられましたために廃車となっております。また、熊本地区の車両に関しましても最後の活躍区間でありました三角線からも平成31年3月の改正で撤退しておりまして、その結果全車廃車と至ってしまっているのが現状でもあります。
それらの背景としまして、このキハ31形気動車にはトイレが設置されていない事や、乗降も画像のようにキハ40系気動車と比べましても幅が狭い分困難となりまして、ラッシュ時にはなかなか対応しにくいという難点があるためとも言われております。
さて、今回ご紹介しますのは、そのキハ31形気動車のトップナンバーで、末期は熊本地区の三角線や肥薩線でも活躍しておりました、キハ31 1を中心に皆様にご紹介してまいります。
このキハ31形気動車のトップナンバーでありますキハ31 1は、昭和61年に旧新潟鐵工所(現・新潟トランシス)で製造されました気動車でありまして、新製導入先は旧熊本運転所(→熊本車両センター)でありまして、一度目に熊本に所属していました時には、三角線・肥薩線の他、当時電化されておりませんでした豊肥線にも乗り入れていた気動車でもありました。
その後、導入時には行われておりませんでしたワンマン改造を施行しまして、平成18年のダイヤ改正時には大分・鹿児島(日南~現・宮崎車両センター)からの車とともに直方車両センターに転属、筑豊線(原田線)や、最後の画像にもありますように後藤寺線などにも使用されておりました。
さらに、平成23年にはスカートを取り付けまして、翌24年には再び熊本車両センターに戻りまして、三角線・肥薩線に入るようになりました。尚、画像は熊本車両センター所属キハ31 14でありますが、画像のようなスカート取り付けがなされてもいました。
さて、ここでキハ31形気動車と言いますと、先述のように廃車発生品を使用した姿も見られておりまして、その代表的なものが車内にありますシートでありました。
(車内)
(シート)
キハ31形気動車は、画像からもわかりますように、2+1列の3列シートであるのが特徴でありますが、使用されておりますこのシートは、0系新幹線電車の普通車として使用されていたものの廃車発生品を使用されておりました。しかも、このシート自体も0系新幹線電車の初期導入時のシートを採用されていたものでもありましたのでシート自体も昭和40年代初頭に製造されていた車両のシートを使用していたようであります。
(京都鉄道博物館訪問時に撮影)
尚、一部車両にはロングシートに改造されました車両も存在しておりました。これは、大分車両センターに所属していた車両で見られていたものでありまして、ラッシュ時の定員を確保するために改造を施していたものでありました。
また、キハ31形気動車にはありながらも使用されていないものがありました。それが画像のドアスイッチでありました。
(車内)
(車外)
現在九州では、筑肥線などを走ります305系電車や「福北ゆたか線」・香椎線を走ります819系蓄電池電車、そして長崎地区を運行しますYC1系気動車におきまして本格的に「スマートドア」と称しまして半自動による運行が行われておりますが(現在は「新型コロナウイルス」によりまして使用停止中)、それ以前にもこのようにキハ31形気動車にも実は採用されておりました。しかし、実際は使用される事もなく、撤去もされる事もなく現在もそのまま残されておりましたが、結局使用されないまま全廃へと至っております。
尚、ご紹介しておりますトップナンバーのキハ31 1も平成30年に残念ながら廃車となりましたし、残りました熊本車両センター所属のキハ31形気動車6両も、先述のように平成31年3月の改正で全車運用を離脱、廃車となっております。末期時は画像のように三角線でのみ使用されている姿が見られておりましたが、トイレがないキハ31形気動車は、運行区間が短いその三角線が代表的な運行区間となっていたのが現状でもありまして、まさに最後の活躍場所であった事が伺わせておりました。
今回は、キハ31形気動車のトップナンバーでありますキハ31 1を中心にご紹介しましたが、末期時にはあっと言う間に両数も数両ほどにまでに減少してしまっておりましたので、それほどこの気動車の存在が寂しく思うほどにまでになってしまっていた事が伺えます。考えて見ましても、昭和60年代製である事からキハ40系気動車よりも10年以上も新しい気動車でもありましたが、やはり欠点があった事を思いますと、そうなってしまう事もわからなくもなかったでしょうか。とにかく、残念ながら全廃へと進んでおりますが、この気動車の存在を存じていただければと思っております。
(注)上の画像は平成19年撮影です。したがって平成筑豊鉄道のいまはなき100形気動車との並びも見られておりました。