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北海道の廃線跡探訪 第34回 名寄本線(3/7)西興部~興部間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第32回 名寄本線名寄~遠軽間その3 西興部《にしおこっぺ》~興部間です。
この区間は興部川と国道にからむようにして、興部へ下りていきます。
第8~第1まで8回興部川を渡ります。すべて撤去されていますが、諌川橋梁が残っています。
旧中興部駅舎も保存され、道の駅になった興部には保存車輌があります。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.西興部~中興部
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西興部は名寄線最後の開業区間だった上興部~興部間にあり、1961(昭和36)年3月、開業時の瀬戸牛から改称されている。
今ではホテル「森夢(りむ)」をはじめ行政関係の施設や住宅が建ち並び、今では北側に貫通している駅前通りにかすかな面影が残るだけとなっている。
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西興部村は合併を選択せず、建物をオレンジ色に統一する「美しい村づくり条例」など、ユニークな施策を進めていることでも知られるが、2023年には人口が1,000人を切ってしまった。
西興部市街で住宅地に取り込まれていた路盤は、国道と少し離れて併走しているはずだが、ほとんどわからない。第8興部川橋梁も痕跡はない。
1959年4月設置、JR発足時に駅に昇格した六興は、六興地区集落センターの裏あたりだが、農地化され路盤すらなくなっている。
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集落センターの先から路盤が現れるが、二線の沢川には橋の跡はなかった。
さらに第7・第6興部川橋梁が連続していたが、どちらも痕跡なく、路盤もほとんど消えている。
3.中興部~班渓
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中興部は国道から少し入った静かなところにあり、駅舎と本屋側ホームのほか、木造の駅便所や倉庫などもそのままで、通信中継器室も残っている。
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バスケットボールのゴールが立っている以外、小さな駅前ロータリーやまわりの樹木といい、ほとんど現役時代と変わらない雰囲気が保たれている。
2023(令和5)年10月も、変わらずよく手入れされていた。
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中興部と班渓の間で第5・第4興部川橋梁を渡る。どちらも跡はないが、班渓手前の班渓川に架かる諫川橋梁は、国道の駐車場や並行する旧国道の道路橋から見ることができる。
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国道と並ぶ区間では保線小屋らしき建物がヤブに埋もれていたが、路盤は農地となっているところが多い。
1957年12月仮乗降場として設置、JR発足時臨時駅に昇格した班渓は取付道路も消失している。ヤブをかきわけ路盤まで行ってみたが、少し樹林が薄いかと思われる程度で痕跡はまったくなかった。
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班渓は、地形図(1/5万地形図「興部」・1/2.5万「朝日」)では班渓川を渡る手前(名寄方)の旧国道沿い、ちょうど西興部村から興部町に入ったあたりに駅記号がある。
しかし、国土地理院の空中写真や前面展望ビデオなどでは、班渓川を渡った先(遠軽方)、旧国道が斑渓川沿いの道と合流するところにあり、諫川橋梁と班渓の実距離からも、移転していないとすれば、地形図の位置は誤りであろう。
念のため、地形図に記された場所も確かめてみたが、こちらも取付道路跡さえなかった。
4.班渓~興部
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班渓~宇津間でも2度興部川を渡り、第3・2橋梁とも痕跡はないが、第2興部川橋梁の先のヤブのなかに、第2興部川第1避溢橋梁のものと思われる低いコンクリートの橋台と橋脚が見えた。
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宇津は国道から取付道路があるだけの空き地となり、宇津の先にある2か所の跨線橋、宇津川を渡る宇津々川橋梁や第1興部川橋梁も完全に撤去されている。
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まわりがしだいに開けてくると、ヤブに覆われた路盤は国道と並行している。国道からコンクリート造の小さなアーチ橋や小橋梁の橋台が残っているのが見えたが、北興の手前の路盤は大きく崩されていた。
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仮乗降場として1957年11月設置され、2年後に駅となった北興には、国道の小さなバス待合室の裏手にブロック造の待合室が残っているが、2020(令和2)年10月には屋根が崩落していた。
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路盤は北興からしばらく消えているが、興部市街の入口で天北跨線橋をくぐると、サイクリングロードとなり、ほどなく公園や道の駅に取りこまれる。
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5.興部
興部は、道の駅「おこっぺ」となり、駅の痕跡はまったくない。
元の構内にはさまざまな施設が建ち並び、交通記念広場や交通記念館もある。
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交通記念館といっても全体が展示施設というわけではなく、1階に展示コーナーがあるだけだが、興浜南線も含め、よくまとめられている。
実物資料や写真のほか、興部・沙留・宇津(キハ46が停まっている!)駅舎の模型もある。
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交通記念広場には、D51 365のナンバープレート・第3動輪がモニュメントとして置かれている。
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一角にはキハ22が2輌(202・251)保存され、それぞれ「HOSTEL・出あいの宿」「SALOON・語らいの舎」として利用されている。
内部は改装され、塗装も現役当時とは似ても似つかぬものになっているが、「営業中」だから状態はよい。
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キハ22は2輌で「RUGOSA EXPRESS」と命名され、さらに交通記念広場は「JOYPARK」、交通記念館は「ANEW」。
やたらと英語を使うのはちょっとなあという気がしないでもない。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は興部から渚滑へ向かいます。