※昭和59年2月~昭和60年3月ダイヤ改正前

820レ・329レ・330レ・321レ・326レ・835レ編成概要

ギザギザ

※昭和60年3月4日~3月6日 山陰本線

820レ・329レ・330レ・321レ・326レ・835レ

車番付き編成の詳細

【昭59.2米9等運用】

(及び過修89)

【投稿日 令和6年4月6日】

【タイトル変更 令和6年4月7日】

 

 

 1 はじめに

(1)当時の820レや835レ等の運用状況(再掲) 再度の掲載で恐縮ですが、当時の「(前略)820レ→329レ→330レ→321レ→326レ→835レ(以外略)」の運用について参考までに掲載します。なお、当ブログでは、今後、これを「昭59.2米9等運用」「昭59.2 820レ等の運用」「昭59.2 835レ等の運用」等の名称(当ブログ独自用語)で呼ぶ場合があります。

 

<昭59.2米9等運用>

※これを当ブログでは「昭59.2米9等運用」等と呼ぶ場合があります(当ブログ独自用語)

 

<参考>

820レ⇒米子4:35発、京都15:11着

329レ⇒京都18:56発、園部20:05着

330レ⇒園部22:56発、京都23:50着

321レ⇒京都5:50発、園部6:46着

326レ⇒園部7:41発、京都8:40着

835レ⇒京都9:08発、米子19:08着

 

(6.3UP)

 

(2)Xのユーザー様からいただいた編成の資料等

(一部再掲)#451等のブログで記載した通り、昭59.2~昭60.3の山陰本線835列車(京都発米子行き普通客車列車、旧型客車、835レ、#365や#451等のブログ参照)について、X(旧ツイッター)のユーザー様の国鉄全線完乗の軌跡氏(元鉄氏)から昭和60年3月5日の835レの編成について車番付きの資料をいただいたところです。また、同じユーザー様の下記Amebaブログ(元鉄氏の下記「国鉄全線完乗の軌跡~「乗り鉄」だった80年代~」のブログ)にも、これと同じ資料及び同日の820レの編成資料を掲載している旨連絡をいただいたところです。上記(1)で記載した「昭59.2米9等運用」の資料と『国鉄気動車客車情報(84年版)』及び元鉄氏の下記Amebaブログの資料等を使えば、昭和60年3月4~6日の820列車(820レ)・329列車(329レ)・330列車(330レ)・321列車(321レ)・326列車(326レ)・835列車(835レ)の編成を車番付きで再現することが可能となります(一部再現できない箇所あり)。

<参考>

①昭和60年3月5日の835レの勇姿等が掲載されたブログ

⇒「【軌跡26】四国・九州旅行:1~2日目(1985/03/05‐06)」(元鉄氏の「国鉄全線完乗の軌跡~「乗り鉄」だった80年代~」のブログ)

※カバー写真は保津峡~馬堀間を走行する昭和60年3月15日の835レ

 

ギザギザギザギザギザギザ

②昭和60年3月5日の835レ及び同じ日の820レの編成(車番付き)が掲載されたブログ

⇒「【軌跡26】四国・九州旅行:最終日(1985/03/05‐06)」(元鉄氏の「国鉄全線完乗の軌跡~「乗り鉄」だった80年代~」のブログ)

 

 

 

(3)今回のブログ 下記2にて編成概要を掲載した後、上記(2)の方法により再現した、上記(1)の資料(昭59.2米9運用)の列車の昭和60年3月4~6日の編成を下記3にて掲載しようと思います。

 

【参考(再掲)】昭和60年3月ダイヤ改正は同年3月14日に実施されたため、山陰本線京都口の旧型客車の最終日は昭和60年3月13日。参考までに、山陰本線福知山~出雲市間の旧型客車最終日は昭和61年10月31日。詳細は下記6及び#347等のブログ参照。

 

 

 

2 編成概要

 昭和60年3月4日~6日の編成(車番付き)を掲載する前に、昭和59年2月~昭和60年3月ダイヤ改正前の820レや329レ等「昭59.2米9運用」の列車の編成(車番等の記載なし)の資料を掲載します(一部再掲)

ギザギザ

(1)820レ(再掲)

 
 
※#371のブログにも掲載
ギザギザギザギザ
 
<参考 820レ各駅発車時刻等一覧>
※米子駅の箇所の誤字を修正した一覧表(下記過去ブログ修正の欄参照)
 
※820レの各駅発車時刻一覧については#371のブログにも掲載しています。
(6.4UP)

 

(2)329レ・330レ・321レ・326レ

 当時(昭59.2~昭60.3ダ改前)、山陰本線京都口のうち山陰本線京都~園部間で運行の旧型客車であった329レ・330レ・321レ・326レの園部側6両は、次の資料の通り、島根県の浜田客貨車区の車両でした。

 
 
 
<参考>
※各列車の各駅発車時刻一覧、山陰2番線側留置線から山陰2番ホームに入線して329レになる場面、326レが京都駅に到着後園部側に郵便車と荷物車が連結されて835レになる場面等については次の#446のブログをご参照ください
(6.4UP)

 

(3)835レ(再掲)

 

 

3 編成(車番付き)(昭60.3.4~3.6)

(1)昭和60年3月4日~5日の820レ等

「国鉄全線完乗の軌跡~「乗り鉄」だった80年代~」さんからXを通じていただいた835レの編成の資料、「【軌跡26】四国・九州旅行:最終日(1985/03/05‐06)」(元鉄氏の「国鉄全線完乗の軌跡~「乗り鉄」だった80年代~」のブログ)に掲載されている835レの編成(車番付き)の資料から、また当時の「昭59.2米9等運用」の運用状況から、昭和60年3月4日の820レ・329レ・330レ及び昭和60年3月5日の321レ・326レ・835レの編成(車番付き)を再現すると下記の通りになります。

ギザギザ

①昭60.3.4の820レ

(6.4UP)

 

②昭60.3.4の329レ・330レ及び昭60.3.5の321レ・326レ

(6.4UP)

※(再掲)当時(昭59.2~昭60.3ダ改前)、山陰本線京都口のうち山陰本線京都~園部間で運行の旧型客車であった329レ・330レ・321レ・326レの園部側6両は、この資料の通り、島根県の浜田客貨車区の車両。

 

③昭60.3.5の835レ(再掲)

(6.3~6.4UP)

 

 

(2)昭和60年3月5日~6日の820レ等

「【軌跡26】四国・九州旅行:最終日(1985/03/05‐06)」(元鉄氏の「国鉄全線完乗の軌跡~「乗り鉄」だった80年代~」のブログ)に掲載されている820レの編成の資料から、また当時の運用状況から、昭和60年3月5日の820レ・329レ・330レ及び昭和60年3月6日の321レ・326レ・835レの編成(車番付き)を再現すると下記の通りになります。

ギザギザ

①昭60.3.5の820レ

(6.4UP)

 

②昭60.3.5の329レ・330レ及び昭60.3.6の321レ・326レ

(6.4UP)

(再掲)当時(昭59.2~昭60.3ダ改前)、山陰本線京都口のうち山陰本線京都~園部間で運行の旧型客車であった329レ・330レ・321レ・326レの園部側6両は、この資料の通り、島根県の浜田客貨車区の車両でした。

 

③昭60.3.6の835レ

(6.4UP)

 

 

 

 4 勇姿、その後の経過等

勇姿については、再掲で恐縮ですが、326レと思われる写真を再度引用します。

<引用>

※引用元:京都ヨドバシ(ヨドバシカメラマルチメディア京都)の写真現像のコーナーの職員さんが撮影された写真。使用については了承を得ています。

※場所は、当時の保津峡駅付近で、鵜飼橋(うこうはし)から撮影の写真と思われる。この列車は当時の326レ?と思われる。時期は昭和59年春?と思われる。詳細は#446のブログ参照(URLは上記の通り)

 

(4.5UP)

 

なお、昭和60年3月ダイヤ改正以降の経過等については、#347、#365、#449、#451等のブログをご参照ください。

 

 

 

 

 

 5 その他

【参考】【昭和54年12月体制、昭和59年2月体制】(一部再掲)

#347や#365等のブログにて記載の通り、普通客車列車王国(普通客レ王国)時代の山陰本線京都口に50系客車が初めて投入されたのは、昭和54年(1979年)12月、とのことですが(『鉄道ピクトリアル』(2007年2月号)のP16)、昭和54年12月から昭和60年3月ダイヤ改正前の山陰本線京都口では、非常に多くの旧型客車と非常に多くの50系客車が運行されている状況でした。これを当ブログでは「昭和54年12月体制」と呼んでいます。この時期のうち、昭和59年2月ダイヤ改正~昭和60年3月ダイヤ改正の時期については、#347や#365のブログ及び下記にて記載した理由により、当ブログでは「昭和54年12月体制Ⅲ」「昭和54年12月体制第3期」「昭和59年2月体制」と呼ぶことがあります。

 

 

 

 

 6 過去ブログ修正89

①#442及び444のブログに掲載している内容を#446に移転したうえで#446のタイトルを変更する方法にて、#442・#444・#446を統合する修正(統合後の番号は#446)を実施しました。また、「昭59.2米9等運用」等の用語も必要であれば追記しようと思っています。URLは上記の通り

②#371に掲載の820レの各駅発車時刻一覧について、米子駅の箇所を「発」とするべきところ「着」と誤記していたため修正した、上記にて掲載した一覧表に差し替えました。

 

 

 

<参考文献>

・『国鉄監修 交通公社の時刻表』(1984年6月号、1985年1月号等)(日本交通公社)

・『鉄道ジャーナル別冊№12 国鉄私鉄客車列車1984』(鉄道ジャーナル社)

・『国鉄気動車客車情報(84年版)』(ジェー・アール・アール)

・『国鉄気動車客車情報(86年版)』(ジェー・アール・アール)等

・『国鉄時代 Vol.73(2023-5月号)魅惑の国鉄車両』(㈱ネコパブリッシング)

・『鉄道ピクトリアル』(2007年2月号)(㈱電気車研究会)

・「【軌跡26】四国・九州旅行:1~2日目(1985/03/05‐06)」「【軌跡26】四国・九州旅行:最終日(1985/03/05‐06)」(元鉄氏の「国鉄全線完乗の軌跡~「乗り鉄」だった80年代~」のブログ)。

・旅一郎氏のYouTube動画「【語り】昭和60年3月ダイヤ改正前日」

・kumoha54氏等のYouTube動画

・「国鉄全線完乗の軌跡~「乗り」鉄だった80年代~」「京丹会交通写真博物館」等のツイート等Twitter情報

・ウイキペディア

・10th 3rd enpedia「荷物列車」

 

 

 

 

 

<参考 Pick>

 

 

 

※誤字脱字等があれば、その都度修正します。

※引用箇所について転載等禁止

※書籍化対応のブログに変更するかもしれません。

※本日も最後までご覧いただきありがとうございました。