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北海道の廃線跡探訪 第32回 名寄本線(1/7)名寄~下川間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第32回 名寄本線名寄~遠軽間その1 名寄~下川間です。
名寄本線は、駅舎や保存車輌、鉄橋などの遺構も多く、見どころが多い廃線跡です。最近、紋別空港の附近では、鉄道防雪林を利用した道路化(国道つけ替え)工事も進められています。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.名寄本線小史
名寄本線は、国鉄自身が建設した唯一のナローゲージ(762㎜軌間)路線である、湧別軽便線の一部を前身とする。
1921(大正10)年10月5日、上興部~興部間の開業により、名寄線名寄~中湧別間121.9㎞となった。
1923年11月5日には、支線・渚滑線が開業したため名寄本線となる。
1932(昭和7)年10月1日、石北線新旭川~遠軽間の全通により、湧別線遠軽~野付牛(改称/北見)間は石北線、遠軽~中湧別および中湧別~下湧別(改称/湧別)間は名寄本線に編入され、名寄本線は名寄~遠軽138.1㎞+中湧別~下湧別(湧別支線)4.9㎞となっている。
名寄本線は、国鉄再建法により「本線」としては唯一、国鉄再建法による第二次特定地方交通線に選定される。
遠軽~紋別間、名寄~下川間の第三セクター化も検討されたものの、三セク化にもれた区間の町村の反対もあり路線存続は断念、JR北海道に継承後、1989(平成元)年5月1日廃止された。
3.名寄~中名寄
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名寄は、名寄本線や深名線があったころよりかなり線路が減り、転車台や扇形機関庫などはなくなっている。
しかし、1927年に建てられた駅舎や、近年新建材でサイディングがなされたとはいえ、古い木造客車庫も残り、国鉄時代の面影を残している。
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名寄本線は駅南の道道跨線橋あたりから徐々に宗谷本線と離れていく。
跨線橋から150mほど構内側線となっているが、車止めの先は宅地や道路となる。
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名寄市北国博物館に保存されているキマロキ編成(59601+キ911+キ604+D51 398)は、かつての名寄本線の線路上に展示されている。
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路盤は、博物館の横から名寄公園南側の入口までパークゴルフ場の遊歩道となり、その先はヤブや農地となっている。
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路盤が南東から北東方向へと向きを変えたあたりでは、短いながらも畦道となり、日彰川には小さなコンクリート橋が残っているが、その先はほどなく農地化され消えている。
4.中名寄~上名寄
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1947年9月仮乗降場として設置、1950年1月駅に昇格した中名寄にはプレハブの駅舎が残り、駅前の樹木とあわせ、こぢんまりとした情景になっている。
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2023(令和5)年10月再訪したところ、内部(日中のみ開放)には写真などが展示され、内外とも実にきれいに維持管理されていた。
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中名寄前後の路盤はほとんど消失しているが、中名寄の先の平和川には橋台があった。
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国道239号の中線跨線橋手前から、路盤を利用した用水路と農道が一直線に延びているが、跨線橋から1㎞ほどで消えてしまう。
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上名寄駅跡はバス停裏手の荒れ地となっていたが、近年、道路側に集合住宅が建てられている。
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駅の痕跡はないが、バス待合所横には、裏側に駅の沿革が記された模造駅名標があり、名寄本線を偲ぶよすがとなっていた。
駅名や地名は上名寄だが、すでに下川町内に入っている。
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5.上名寄~下川
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上名寄の先で再び国道をくぐる。この上名寄跨線橋は2020(令和2)年撤去され、国道のカーブもゆるくなっている。
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路盤はほとんど農地化され、1956(昭和31)年10月仮乗降場として設置、1959年11月駅に昇格したが、ホームしかなかった矢文や岐阜橋も、農地のなかに消え、道路上の踏切跡とわずかな路盤の痕跡があるだけとなっている。
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下川の手前の上糠川橋梁で下川パンケ川を渡っていたが、跡はない。
この先の路盤は未舗装道になっている。
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下川市街に入ると「ふるさと通り」という道路になり、元の駅構内まで続いている。
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6.下川
下川駅跡には下川町バスターミナル合同センターが建ち、その横には名寄本線の沿革が刻まれた、石造りの鉄道記念碑がある。
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しかし、駅舎に突き当たっていた駅前通りは駅裏へ貫通し、旧構内には真新しい施設が建てられ、駅の面影はなくなっている。
最盛期は15,000人を超え、名寄本線があったころでも5,000人以上あった下川町の人口も、2023年11月現在3,000人を切っているが、元の駅あたりを見る限り、それほど寂れた感じはない。
名寄方には広場があり、踏切警報機や腕木式信号機とともにキハ22 237・245が保存されている。
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キハは集会室や無料宿泊所として使われ、朱色の首都圏色に緑色の細帯を足したような塗装は、かつての鹿児島交通の気動車を思わせる。
以前は屋根との塗り分けが雑で、状態もあまりよいとはいえなかったが、2017(平成29)年にはきれいに塗り直されていた。
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キハは広場の地面に描かれた楕円形の線路上に置かれ(キハの下のみ本物の線路)、1本の大木とあいまって実物大の模型のように見える。
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広場とふるさと通りの歩道との境にあるベンチも、積み木の汽車のようなデザインになっており、駅の面影が消え失せているのとは対照的に、鉄道の存在を記憶にとどめていこうという意思が感じられる。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は下川から西興部へ向かいます。