一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線旧型国電最後の力走2-2(53007/68400)

1982/11/27 飯田線 平岡/為栗、238M 平岡行、クモハ53007/クハ68400

 2(53007/68400)でも触れた編成になるが、2両でこの区間の走行の画像になる。

クモハ53007は、撮影画像から1982/03~1982/11に、連結相手が変更になっていた。

トイレの無いクハ68042から、トイレがあるクハ68400であり、そのため運用も変更。

1983年の置換のおよそ1年前の間は、通常でも2両編成単独運用にも入るようになった。

クモハ53007が先頭になる走行を見たのは、1978年以来4年ぶりのことになる。

 

1982/03/09 飯田線 飯田、1222M増結、クモハ53007

 朝7:07に1222M到着、下り側に2両増結停車。その増結車のクモハ53007を撮影。

張上屋根/大窓/ノーシールノーヘッダーの半流車は、他の旧型国電とはまた別の魅力。

戦前の京阪神間の急行電車の雰囲気。ただし、ゆっくりと観察している時間はない。

当時明るいうちにクモハ53007の先頭を撮影できるのは、この連結直前の数分間だけ。

連結終了後には、7:21発の1222Mに再び乗車、飯田からは増結の53007に乗車しよう。

 これ以外では、22時ころに飯田で256Mで切離しの時と、伊那松島機関区内でのみ。

このころの撮影の方から、クモハ53007が先頭に出てくれないという文面をよく見る。

自分も全く同じ気持ち。運用が変わるか(4両でも上り側になる、とか)、あるいは、

連結相手のトイレ無しクハ68042が変わるか、どうにかならないかと思っていた。

 

1980/11/29、飯田駅

 飯田線の中心駅になる。当時は急行が多数存在し、文字通り交通の拠点であった。

 

  参考:旧型国電車両台帳、国鉄電車の歩み(30系から80系まで)、

     国鉄電車ガイドブック 旧性能電車(上)、飯田線の旧型国電 増補版

     時刻表 1982/09、1981/12他