EF55が展望車を従えて佇んでいます。時は昭和37年6月。

まさか、この半世紀後にまた巡り会おうとは・・・。

 

昭和37年は鉄道開業90年ということで、当時、東京・晴海にあった見本市会場で「伸びゆく鉄道科学大博覧会」が開催されましたが、画像のEF55と展望車はその展示車両になります。

 

昭和12年に当時大流行りしていた流線型ボディを採用して、鳴り物入りでデビューしたEF55。当初は東海道本線で超特急「燕」や特急「富士」などを牽引した花形機関車でしたが、期待されたほど流線型の効果が発揮されず、加えて蒸気機関車のように方向転換をしなければならないなど、デメリットな部分だけが目立ち、僅か3両のみで製造が打ち切られました。

戦後はやはり東海道の花形だったEF53とともに高崎第二機関区に転じて高崎線の旅客列車を牽引するようになりましたが、東海道→高崎というのはどう贔屓目で見ても「墜ち武者」感が強かったという声が多かったようです。そしてメンテナンスにも難があり、次第に干されるようになります。

 

昭和37年には2号機が交直両用のED30に機器を移植するために解体、3号機も昭和39年に解体されまして、この段階で残ったのは1号機だけでした。教材用でしょうか、一時期、国分寺にあった中央鉄道学園に保存されていましたが、程なくして古巣の高崎に戻り、昭和53年には準鉄道記念物に指定されます。ただ、雨ざらしの放置プレイだったため、車体の痛みが激しくなっていきます。これを見かねた高崎第二機関区の職員が有志で整備を行い、構内で走れる状態までにしました。展示会でも常に人気で、その頃に「ムーミン」と呼ばれるようになります。この人気ぶりを国鉄本社は見逃すはずがなく、EF55 1の本格復元を決定し、大宮工場で1年かけて作業を行い車籍も復帰させます。勿論、JRにも継承されてイベント列車の牽引に “シルバー車生” を送る事になります。

 

平成27年に廃車になりますが、予てより大宮の鉄道博物館へ収蔵される計画があったようですね。廃車はそのためと考えられます。

こうしてEF55は安住の地を得る事になりますが、冒頭の「まさか半世紀後に・・」というフレーズはここで生きてきます。

画像の後ろに従えている展望車はマイテ39 11。これだけでも戦前の「燕」や「富士」を連想させますが、マイテ39 11って聞き覚えありませんか? そう、それこそ大宮の鉄道博物館に展示されている展望車がマイテ39 11です。連結展示はされていないものの、晴海での展示から53年後、EF55 1とマイテ39 11は大宮で再会を果たします。

 

マイテ39 11は廃車後に青梅の青梅鉄道公園で静態保存されたことから、EF55 1との邂逅は無いと思われますが、昭和62年にマイテ39 11は大井工場(→東京総合車両センター)に移され、平成19年の鉄道博物館開館時に再移送されていますので、その20年間のどっかで東京総合車両センターのイベント時に邂逅はあったかもしれませんね。

 

因みに、この晴海の鉄道博覧会ですが、参加車両が新旧問わずなかなかなメンツ揃いでした。

確認が取れているだけでも・・・

 

EF60(機番不明)

ED72 11

EF55 1

クモヤ93000

DF50 510

7100形(義経号)

C62 1+20系客車(ナハフ20?)

C51 180

伊予鉄道坊ちゃん列車

DD13(機番不明)

キハ58

キ100

チキ5000

etc・・

 

ED72やDF50など、東京ではなかなかお目にかかれない車両も見受けられます。

チキ5000というのは「たから号」でお馴染みのコンテナ貨車で後にコキ5000と形式が改められます。

そして義経号、EF55 1、C62 1、マイテ39 11は保存ながら今でも見られるのはある意味、奇跡なのかもしれませんね。

 

 

【画像提供】

コ様

【参考文献・引用】

ウィキペディア(国鉄EF55形電気機関車、青梅鉄道公園など)

「伸びゆく鉄道科学大博覧会」を扱った各サイト