年のせいでしょうか、メンタル弱っています。
阪神が開幕ダッシュに失敗したこと?イヤイヤ違います。
それは長い長~い暗黒時代を経験していますから、馴れています。
甲子園に帰るまで1つ勝っているだけ気持ちは楽です。
道東出身のいい年したオッサンにとって根室本線富良野~新得の廃線はショックでした。
高校を出て札幌の隣町江別市に引っ越した時、寝台急行狩勝でふるさとを離れ、20歳の帰省で石勝線開通。新型特急キハ183初乗車。
あっけなく釧路に着く。あっけなくと言っても4時間。それまで6時間で繋がっていた釧路と札幌が2時間早く結ばれた。
それでも、根室本線新得~富良野~滝川経由って魅力的でした。
新得から狩勝トンネルを越え富良野を過ぎると芦別市赤平市の炭鉱の灯りや駅構内の側線に並び石炭満載の貨車が並んでいました。
まさか、台風の被害で復旧されないまま廃止されるとは思いもしませんでした。
採算の取れない路線だから切り捨てられた。と思っていました。
北海道の方言でいう「まかたしない」路線、区間。
営業最終日3月31日、廃止は4月1日ですから、営業最終日、富良野駅で多くのメディアや鉄道ファン、地元住民が取り囲む中、富良野市長とJR北海道社長綿貫氏が挨拶しました。
廃止の張本人が社長ですから、もしもヤバイ奴がいたら、命に関わる事件が起きても不思議ないし、地元選出の国会、道議会議員は誰ひとり廃止セレモニー不参加の中挨拶に来た社長。
ニュースで見た時に勇気のいることだろうなと思いました。
ニュース映像にはない囲み取材の中で、記者の質問の最後までの動画をYouTubeでUPした人がいました。
最後まで事前に想定された質疑だったんでしょう、社長の回答もスムーズに見えました。
最後に社名を名乗らずに質問した方がいました。一般のファンと思っていいのかな?丁寧な言葉使いだったけど。
「復旧せずに終わったのは残念な気持ちですか?」
ここで「赤字だし、いい区切りがつきました」と答えてくれたら、憎いヤツという気持ちで終われたんですが、しばらく言葉を選びながら「そうですね」と。
そういえば、一時、誰が復旧費用を出すかの議論がありました。
結局、どこも負担できないということで、今回の廃止になりました。
綿貫社長にすると、存続に向けて奔走した時期があったんでしょう。
無念の気持ちが滲む会見でした。
記者が聞き出せなかった言葉が一般人の質問で出たように思います。
ただただ悔しい気持ちでいた廃線ですが、なんかモヤモヤして……。
最終列車の記念乗車をレポートする人もいたけど、汽車を動かすのは現場の鉄道員だけじゃなく多くの人が関わっています。
JR本社でそろばん弾くだけじゃなく、お偉いさんの板挟みになりながら身を削る人もいたんだなと。
怒りとか寂しさとか色んなものが押し寄せる今回の廃線ですが、自分自身の踏ん切りも必要かなと感じています。
綿貫社長、なんでいい人の側面出したんかな。