2024.3.9 ふたつのさよならに、ただいまを添えて。〜5年ぶりの銚子、別れと再会の旅② | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

3月9日、しおさい3号で始まった旅は、波乱含みの様相で動き出していた。

遅い朝ご飯のお供に、キンキンに冷えたビールを飲みながらも


あんまり滅多なことしてくれんなよ!


と祈りながら、いつになく緊張感というより怒りを背中に込めた旅になっていたのである。


久しぶりの255系の旅。

かつてはただ乗って行くだけ、のことが多かったからか、逆に新鮮味を感じる。

銚子に行く時は、あくまでも銚子という場所そのものが大きな目的だったからだろう。

255系に乗ることを目的の一つに据えず、行き帰りの移動手段としてのみの利用だったのだ。

だから、銚子への行き帰りは自宅を出る時間が早い関係もあって寝ていることが多く…

こうして目が冴えていることは、とても珍しいことだったw


それは、16年前の「新宿わかしお」による安房鴨川往復もそう。

会社の研修の行き帰りという極めて特殊な状況が、記録と記憶の一切が消えたままでいる。

あまりにも綺麗さっぱり消えていたので「わかしお」か「さざなみ」かも曖昧だったw


そんなわけで、久しぶりに255系に特化したようやくの旅…になるはずだった。

しかし、そうはうまく事が運んでくれないな、と苦笑いしつつ慣れた道を走っていく。

総武快速線を走っていくたびに、ああここで撮らなかったな、とか次々に反省点も思い浮かぶ。


千葉では、7番線に到着。

相変わらず、千葉駅は一見さんにはわかりにくい駅ではある。


さて、先頭9号車ではちょいちょいと人の動きがある。

255系とE257系は前面展望が可能な構造であり、運転席後ろのデッキに立つ人が多い故。

185系でもそうだったが、撤退前はちょっとした人気スポットになっていたのだ。


ただ、デッキとの仕切りドアが開き放しになったり、賑やかな人の声が煩いなど弊害も多い。

駅の発着時は乗降でまだ仕方ないにせよ、走行中は周りへの配慮を忘れてはならないだろう。

まぁ今回は、下手で変な歌を聞かされなかっただけマシだったとは思っておきたい。


続けて、佐倉に到着。

よく京成本線の京成佐倉駅を通るが、そちらとは南北に2kmほど離れている。

このあたりになると、自分は馴染みが極端に薄くなってくる。


慣れないエリアだから、油断すると乗れなくなる可能性も出てくる。

発車時間の再確認、発車メロディの有無を怠らず動く。


佐倉から先の総武本線は、単線区間に。

榎戸では普通列車と交換のため、少々運転停車があった。


そして、八街へ。

高校の同期で八街から通っていたのが居たが、不思議なほど通る機会は少ない。

無論、降りたこともまだない。


視点を変えて、改めて見えてくるものがある。

1990年代前半、国鉄の画一的イメージから脱却すべく、ワクワクさせる車両を次々生み出して

毎年何かしら楽しかった時代に、自分は鉄道趣味を深度化させていた頃を。

細かい所に凝らされた意匠に、登場当時の前向きさを感じる。


だが近年は正直なところ、寂しさやマイナスの話ばかり。

なかなか上向かない情勢に車両の疲弊ぶりを加えて、遣る瀬無い気持ちにさせられる。

それに追い討ちをかけるように、一部の見過ごせない暴走行為は怒りを増幅させていて…

それをあろうことかチヤホヤして囃し立てる一部も、また同罪であろう。


そんなモヤモヤを乗せつつ、255系はゆく。

1缶350mlのビールなんて、気持ち安定化に効きやしない。


それでも遅延なく、頼もしく走ってくれるのがまだ救い。


成東、横芝と着実に止まり、東京方面からの利用客を下ろす。

土曜日だったせいもあるが、利用が減っているという実感はあまりない。

それでも、自由席は最後まで楽に座れる程度だったのだけど。

それすらもどんどん少なくなっていくという、厳しい実態も隣り合わせ。



先細りしていく中ではあるが、まだしおさい3号は独特の熱気を持って走っていく。


そして旭まで走ってきて、ここでトピックが…