203X年

京急電鉄は大赤字に苦しむようになっていた。なぜなら品川駅地平化・北品川駅高架化や、ホームドア設置などでの工事費用高騰に加え 、JR東日本の羽田空港新線の影響をまともに受けたからだ。


三浦半島の観光開発など、空港以外のビジネスに立ち帰る戦略を取るも、時すでに遅し。横浜南部、横須賀、三浦半島の価値創出を長年怠ってきたツケが回ってきたのである。


青息吐息の京急電鉄に手を差し伸べたのが、東急電鉄である。他の選択肢はなく、京急は提案を受け入れた。そして203X年4月1日、京急電鉄は東急電鉄に吸収合併された。


東急の目論見はもちろん、羽田空港乗り入れである。合併と同時に東急は以下の発表を行なった。

①いわゆる「蒲蒲線」を早期に完成させる。

②大鳥居駅まで「蒲蒲線」を延伸、現在の京急空港線と同一ホームでの乗り換えを可能にする。

③将来的に軌間1067mm車両の空港直通を模索する。

京急は蒲蒲線の空港線乗り入れを断固拒絶していたが、親会社には逆らえない。東急は目論見を果たした。歴史は繰り返す。東急のお家芸だ。


合併から数年後。「令和の大東急化」は冷遇されていた京急本線利用者にメリットをもたらした。遅れていたホームドア設置、ワンマン運転、車両の無塗装化は一気に進み、快特あらためY特急には「Qシート」が終日連結されるようになった。(Yは横浜、横須賀の頭文字。)駅舎も東急仕様のスマートなものが増えつつある。


横浜南部の地域開発も進み、金沢文庫駅には悲願の駅ビルも建ち、バスターミナルも再整備された。サニーマート跡地も東急グループの手で再開発された。横須賀市内の再開発や三浦半島の観光振興も徐々に息を吹き返している。


京成や都交通局など乗り入れ先との関係も改善した。イブニングウイング号は浅草橋始発も登場した。1890番台を活用した、社局を跨いだイベント列車が運行されるようになった。車両の共通設計化も検討されている。浅草線は取替周期がまだ先なので今回は加わらないが、京成グループ、旧京急、東急池上線系は今後共通設計化が進むと思われる。


めでたし、めでたし。


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