今朝3月31日朝日新聞の社説で、{宝塚歌劇団「外部の目」は十分か}を載せました。昨年発生した宝塚歌劇団宙組での悲劇。歌劇団に反省と改善が、急務であるのは言うまでもありません。しかし朝日新聞社の社説には、`(阪急電鉄は歌劇団への)十分な統治が及んでいなかった`と書いた文章があります。

阪急電鉄は宝塚歌劇団の運営に関わっていますが、歌劇団員が気持ちよく演じられるように、歌劇団を萎縮させないようにしているはずです。親会社である阪急電鉄には、宝塚歌劇団のコンプライアンスを守る責務はありますが、歌劇団員の演劇の自由を保ち良い演技・舞・歌を披露できるよう、歌劇団を拘束する意図は無いはずです。阪急電鉄には宝塚歌劇団の運営に責任はあるものの、支配するとか統治しようとは、思っていないはずです。

でも「十分な統治が及んでいなかった」と述べている朝日新聞の社説からは、宝塚歌劇団が歌劇を演じる自由を、尊重していないようにも受け止められます。演じ歌い舞う自由は、タカラジェンヌと宝塚歌劇団関係者にもあるはずです。宝塚歌劇が日本を代表する全国紙の朝日新聞に、表現の自由を侵害されたようで不愉快に感じました。

(社説)宝塚歌劇団 「外部の目」は十分か:朝日新聞デジタル (asahi.com)

謝罪はしたものの、阪急阪神HDからは責任を回避するような姿勢もにじむ。歌劇団を含む娯楽事業はグループ全体の営業利益の1割超を生み出しており、さらに伸ばすことを期待されていた様子がうかがえる。にもかかわらず、自らの経営戦略が現場にどう影響したのか省みる視点に欠けてはいないだろうか。

 歌劇団は阪急電鉄内の一部門なのに聖域扱いされ、十分な統治が及んでいなかったようにも見える。こうした組織のあり方についても、整理する必要がある。