[国立公園鉄道の探索]
「きりしま」から見た霧島
(霧島錦江湾国立公園)
国分駅(小倉起点432.1km)から日豊本線の特急「きりしま」に乗って霧島連峰を眺めてみたいと思います。
国分駅を都城方面に進むと、平地に突き出したシラス台地が見えてきます。
日豊本線は、やがて広大なシラス台地地帯に突入します。
国分駅の標高は約6m、次の霧島神宮駅の標高は227.5m、12.7kmの区間を最大25‰の急勾配をこなしながら登っていきます。
特に、途中のシラス台地の一角・春山原の下を潜る襲山(そねやま)トンネルは全長1929m、全区間25‰の急勾配で、トンネル上の渓流も潜らなければならないため、かなりの難工事であったと思われます。
日豊本線の中でも、都城~国分間にあたる、国分から霧島神宮に至る区間は、1930(昭和5)年7月10日に開通しました。
その後、大隅大川原~霧島神宮間が1932(昭和7)年12月26日に開通、これにより日豊本線は全通することになりました。
だんだん高い所へと進んでまいります。
霧島川の谷筋に達すると、霧島連峰が望まれました。
ひときは目立つ山は、高千穂峰(1754m)です。
春の野から見上げる高千穂峰は、姿かたちが整った穏やかな山と見えました。
日豊本線の国分から都城にかけては、トンネルや切通区間が多く、見通しがきくところは限られていますが、
時折「風景」が出現します。
起点の小倉から終点の鹿児島まで、日豊本線は概ね国道10号線と並走する区間が多いのですが、宮崎から国分へかけては、独自のルートを走ります。
特に都城~国分間は、急峻な地形帯を含む山間部を通り、難工事個所が多かったはずです。
なぜこのコースが選択されたのか、詳細なところはわかりません。
一因としては、その後国立公園に指定される「霧島」の玄関口・霧島神宮駅を経由したかったことが考えられます。
霧島神宮駅は、霧島神宮からは6km程離れた場所にありますが、当初「田口駅」とされる予定であったところが「霧島神宮駅」として開設されています。
五十市駅で一旦停車しました。
西都城駅の高架からも、美しい高千穂峰が望まれました。
さて、霧島といえば、やはり温泉に行きたくなります。
最初はここまで載せる予定はなかったのですが、あるジャーナリストが「温泉という悦楽」というコラムを書いておりまして、たまたま3月の記事で「霧島」をとりあげていたので、私も触れてみたくなりました。
この記者は霧島を「幾つもの良泉が多様に湧く温泉バカ垂涎の地」と称しておりましたが、むべなるかな、と思われます。
しかも、沢山の湯槽を持つホテルもあります。
私が泊まったところでも、少なくとも5槽はありました。
それも階を分けて。
この日は満室に近い状態ですが、温泉に行く人は分散するため、一つのところが混雑することはありませんでした。
誰か入っていれば、流石に写せませんが、この時間は独占することができました。
それに、あたりの景色も素晴らしい。
そのジャーナリストは、「これほど気楽で素晴らしい場所が家の近隣にあれば」とも書いておりました。
確かに、近くはありませんが、さりとて遠くもありません。
東京から鹿児島まで飛行機で1時間半、空港から車で20分もあれば着けます。
これくらいの距離感がよろしいのではないでしょうか。
どうやら、来年も霧島を訪ねることになりそうです。
それから、通常私は食事のことは載せないことにしているのですが、今回事情があって少々載せます。
というのは、当初このホテルを予約した時は、すでに予約が満杯で部屋だけならなんとかなる、といわれたのです。
それはないだろう、と、しばらくしてから食事はなんとかならないか、と聞いた見たところ、なんとかなったのであります。
「地元の食材」が、なんとか手配できたようです。
しかしながら、アルコールに弱い私は、手前にある食前酒・ハイビスカス酒を一気に飲んだだけで、酔いが回ってしまい、後は丹念に観察する余裕がなくなってしまいました。
因みにこの前菜は「初春の彩り」と記されていました。
「和牛の陶板焼き」の設定ができました。
こちらは「豚軟骨黒酢煮」で、いかにも鹿児島らしい素材が生かされています。
食事と同時に、鹿児島名産の焼酎、これは後から教わったのですが、3Mと称される、魔王、森伊蔵、村尾のどれかは頼めたかもしれません。
鹿児島でとれた良質な農産物を活用した特産の焼酎、これは酒に弱いものにとっても、たいへん興味がもたれるところです。
地元の食材が生かされた食事が提供され多彩な温泉につかれるホテルに泊まっても一泊1万8千円程度です。
これは格安と思いました。
海外では、ビジネスホテルの部屋に一泊数万もかかり、イタリアに行ったらビックマック定食が2000円もしたという話もききます。
格安日本の現状には問題があることもわかりますが、
私のような一庶民にとってはありがたい面も多々ある、と感じられました。