「国鉄伝説」の1117回目ということで、117系をお届けします。(笑)

東京人が羨む2扉転換クロスシートを採用し、今までの国鉄車両にはない斬新なスタイルは、「国鉄も変わったな」を印象づけるのにもってこいの車両でした。でも、それはあくまでも「打倒私鉄」という大きな目的があったから。東京はどうしても「質より量」になってしまうので、103系や113系といった「標準車両」が必要になってきますが、関西圏の場合は「量より質」。103系や113系では太刀打ちできないので、「打倒私鉄を専業とした車両」は大阪鉄道管理局の悲願でした。大鉄局は事ある毎に「私鉄に打ち勝てる列車、車両を」と国鉄本社に訴えかけるも、本社は首を縦に振らず、新型車両はまず首都圏にという図式を崩しませんでした。

 

「新快速」の設定も、117系の投入も大鉄局が粘り強く本社と折衝を繰り返してのものになりますが、それだけに117系はこれからの国鉄の方向性を導き出した功績が大だと思います。117系が登場しなかったら、185系も105系も115系3000番代も119系も製造されなかったかもしれませんね。つまり、どんな地方線区にも103系や113系、115系で賄うのではなく、地域事情に合った車両を開発するようになった点では繰り返しになりますが、117系の功績は大きいです。

 

117系の登場は昭和54年ですが、営業開始は昭和55年になります。

阪急6300系も京阪3000系も霞むスタイルとアコモデーションが評価されて、その翌年に鉄道友の会から「ローレル賞」を受賞します。画像はその授賞式の模様で、昭和56年10月3日に大阪駅で行われました。

 

あれから45年が経ち、117系はJR西日本管内で生き別れ状態で最後の活躍をしていますが(JR東海車は既に全廃)、岡山地区は令和5年7月に、和歌山地区は令和2年3月に、下関地区は平成28年にそれぞれ運用を終えており、残るは京都地区だけになっているようです。それも残り僅かになっているみたいで、この先の安泰は厳しそう。

 

117系というと、画像のような「関西急電色」を先ず連想しますが、153系時代の「ブルーライナー」色も似合いそう。

模型とかで作例があるかもしれませんが、ラッピングでも構わないので、京都鉄博に保存されているクハ117-1で「ブルーライナー」色を再現して欲しいなと思います。

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアルNo.838 (電気車研究会社 刊)

ウィキペディア(国鉄117系電車)