第45章 平成16年 リムジンバス羽田空港-八王子線で昭和の学校給食の時代へ時間旅行 | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

 【主な乗り物:リムジンバス羽田空港-八王子・高尾線、羽田空港-立川線】



羽田空港と八王子・高尾を結ぶリムジンバスが開業したのは、平成14年11月のことである。

他の記事でも触れたように、高速バスに乗車するのが大好きな僕であっても、平成の半ばに雨後の筍の如く増加した羽田空港発着のリムジンバスを片っ端から乗り潰すのは、路線数の膨大さ故に、端から諦めている。
趣味が高じて、東京から全ての道府県庁所在地にバスで到達する、という目標を定めたことがあったが、横浜や千葉、宇都宮、前橋といった首都圏近郊の県都は、都心を発着する一般の高速バス路線がなかったり、リムジンバスが先に開業する場合が多く、とても重宝した。
いずれも鉄道の方が運転頻度が高く、所要時間も短く、運賃も安いので、宇都宮のように都心を発着する高速バス「マロニエ新宿」号が廃止されるといった例もあるのだが、一方で、宇都宮でもリムジンバスが根強く利用者の支持を受けて存続しているのは、航空機の搭乗客は荷物が嵩ばっているのと、乗り換えが不要だからであろうか。

リムジンバスは高速道路を使用する路線が多く、僕は高速バスの一形態と捉えて趣味の対象に含めているのだが、このような街にもバスで行けるようになったのか、と旅心をそそられて、幾つかの路線に乗ってみたこともある。



リムジンバスに乗るためだけに羽田空港に足を踏み入れ、バス乗り場では、僕も航空機で着いたばかりなんです、と言わんばかりの澄ました顔で待ち客の列に加わるのだが、車内で、同乗の客で飛行機を利用していないのは僕だけだろうな、と内心苦笑を噛み殺すのは、独特の味わいである。
混雑している時などは、僕のような余計な客のせいで、航空機の利用者がこのバスからあぶれていないか、と心を痛め、車内を見回して残っている空席に胸を撫で下ろしたこともあった。

所用で航空機に搭乗した際は、羽田空港の到着ロビーにあるリムジンバスのカウンターで、壁に掲げられた路線の一覧を見上げながら、今日はどれに乗って寄り道してみようか、と迷うのも、なかなか楽しいひとときだった。
今回、八王子へのリムジンバスを選んだのは、もちろん趣味の一環であり、東京の東南の隅っこに位置する羽田空港から、西の県境に近い八王子に向かう路線は、もしかすると、都内最長路線かもしれない、と思ったことがきっかけだったが、僕にしては珍しく、バス以外の目的も存在した。


当時住んでいた品川区大井町の駅前で、まだ薄暗い早朝に、羽田空港行きのリムジンバスを待った。
今にも泣き出しそうな雲が垂れ込めた肌寒い冬の1日で、リムジンバス羽田空港-八王子線の開業から2年ほどが経過していた。

「雪になるんでしょうか」

と、T子が空を見上げている。

「予報は雨だっけ。ごめんね、こんな日にバスなんか選んで」
「いいえ、バスは座り心地がいいので、好きですよ。八王子まで電車だったら、まず立ちっぱなしじゃないですか」
「日曜日だから、そこまで混んでないかもね」


当時付き合っていたT子は、僕の乗りバス趣味に付き合ってくれる貴重な女性で、遠近問わず、幾つかの高速バスに一緒に乗ったことがある。

無為の車中でも退屈な顔1つ見せたことがないT子だが、目的地に関して、彼女の希望を取り入れたことも少なくない。
羽田空港と多摩センター駅を結ぶリムジンバスに乗車し、同駅に程近いサンリオピューロランドを訪れたり、新宿からTDLに向かう高速バスに乗車したのは、彼女が行きたい、と言い出したのがきっかけだった。
彼女は希望の場所を挙げるだけで、行き方は僕にお任せ、といった姿勢だったので、僕がどさくさに紛れて、高速バスやリムジンバスを組み込んだのである。

それでも、大井町駅と羽田空港を結ぶリムジンバスが開業しなければ、大森駅や蒲田駅からの路線バス、もしくは品川駅からの京浜急行線や浜松町駅からのモノレールを利用する手間が必要で、気軽に羽田空港のリムジンバスに乗ろうよ、とは言いにくかっただろう。


大井町から30分たらずで羽田空港の出発ロビーに着き、到着ロビーに降りて、八王子行きのリムジンバスに乗り換えた。

バスは、空港中央ランプで首都高速湾岸線に入って羽田空港を後にすると、京浜島と城南島を通過して、大井JCTで大井連絡路に逸れ、首都高速1号羽田線に渡る。
一段と高い連絡路で、右手にレインボーブリッジが遠望され、1号羽田線を進む間にも、ビルの切れ目から流麗な斜張橋が垣間見える。

「あの橋、渡らないんですね」

数年前に東京駅と安房鴨川駅を結ぶ高速バス「アクシー」号にT子と乗車した時や、先日2人で乗ったばかりの新宿駅とTDLを結ぶ高速バスで、彼女はレインボーブリッジからの眺望にいたく感心していたので、当てが外れた顔をしている。
「アクシー」号でも、終点で鴨川シーワールドを訪れたっけ、と思う。

「うん、レインボーブリッジは、羽田からだと少し遠回りだし、都心の方に向かう車線が渋滞することが多いから、避けたんだろうね」
「ちょっぴり楽しみにしていたんです」
「それは残念」


現在ならば、大井JCTで首都高速中央環状線山手トンネルに入る経路が最短であるが、当時はまだ完成しておらず、八王子行きのリムジンバスは、首都高速1号羽田線と11号台場線が都心環状線に合流して渋滞が慢性化している浜崎橋JCTを通り抜けるしかない。
1号羽田線も、浜崎橋の手前で車の流れが滞るのが常だったが、どうせ引っ掛かるならば、レインボーブリッジを通ってT子を喜ばせてほしかったな、と思う。

ビルの谷間を縫う都心環状線は、浜崎橋の先で、右手に東京タワーがほぼ全貌を現す箇所がある。
それをT子に見せたくて、僕は羽田空港でバスに乗り込んだ時に、右側の窓際席に座らせたのである。

「すごい、東京タワーがこんなによく見えるところがあるなんて」
「ここは程よくビルが切れてるよね」
「私、東京に来たばかりの頃に、東京タワーに登ったことがあるんです」
「僕も、東京に来て直ぐに行ったっけ。どうだった?」
「周りにいるのが日本人のように見えたんですけど、聞こえるのが中国語や韓国語ばかりで、日本人は東京タワーに行かないのかしらって、びっくりしました」
「それも僕と同じだ。外国人に人気があるんだね。中国語と韓国語って、聞いていて区別がついた?」
「何となく、です。中国語も韓国語も、それぞれ独特の響きがあるじゃないですか。特に韓国語は、なんとかニダ~とか、なんとかヨ~とか、終わり方が決まっているような気がして」
「うん、韓国語って、どんなに緊迫した場面でも、言葉だけ聞いていると、何となく脱力しちゃうんだよね」
「あー、それって、韓国語の勉強が進まない言い訳ですか?」


その頃のT子と僕は韓国映画に嵌まっていて、平成12年に公開されて韓流ブームの幕開けを担った「シュリ」をはじめ、「JSA」「二重スパイ」「ユリョン」「シルミド」「殺人の追憶」といった作品を、DVDで自宅で鑑賞したものである。
「シュリ」や「二重スパイ」で主演したハン・ソッキュや、「シュリ」「JSA」「殺人の追憶」などで脇役ながらも圧倒的な存在感を見せていたソン・ガンホ、「ユリョン」で端役だったが「シルミド」で主役に躍り出たソル・ギョングといった定番の俳優が、当時の大作映画に繰り返し顔を見せていて、若くてハンサムな韓流スターではないけれども、我が国の配給会社が敢えて彼らが出ている作品を選択していたのかもしれない。

やがて、僕は「シルミド」に出演していた実力派俳優アン・ソンギのファンになり、彼が出演するDVDを集めるようになる。
韓国語を耳にすると云々、という僕の感想は、韓国の人が聞けば怒るかも知れないが、日本語だって他国の人が聞けば似たような印象を持つかもしれない。
韓国で「国民俳優」と呼ばれて尊敬を集め、「シルミド」で軍人に扮していたアン・ソンギの台詞を聞けば、流暢で歯切れが良く、韓国語も悪くないじゃないか、と思った。
日本語の吹き替えが収録されているDVDも少なくなかったが、アン・ソンギの出演作は、必ず原語で観たものである。

2人で示し合わせて、韓国語を学び始めたのも、今となってはほろ苦い思い出である。
言語学的には、修飾語が被修飾語に先行し、前置詞ではなく後置詞を用いるなど、日本語と同じく膠着語に分類されるらしいが、さすがに30歳代で新しく語学をモノにするのは並大抵のことではなく、ハングル文字を覚える段階で、意欲が尻すぼみになってしまった。


八王子に出掛ける前の夜も韓国映画を観たのかもしれず、東京タワーをきっかけとして、しばらく映画談義に花が咲いた覚えがある。

その間に、バスは三宅坂JCTで首都高速4号新宿線に進路を変え、赤坂や外苑の緑豊かなホテル街や公園の中を進む。
新宿の高層ビル群を見遣りながら、車が押しくら饅頭をしているような狭い首都高速道路を、初台、永福と過ぎるうちに、周囲は一面の住宅街となって、眺望が開けた。
果てしなく続く屋根を見渡しながら、この視界の範囲だけで何十万という人々が生活を営んでいるのだろうな、と思うと、東京の懐の深さに感服するとともに、少しばかり気が遠くなるようでもある。

高井戸JCTで中央自動車道に足を踏み入れてもなお、道路は狭いままであったが、烏山トンネルを抜ける頃には路肩に余裕が生まれ、それまで短い間隔でバスを揺さぶっていた路面の継ぎ目も間が広がって、バスの速度が上がった。



中央フリーウェイ
調布基地を追い越し
山にむかって行けば
黄昏がフロントグラスを染めて広がる

中央フリーウェイ
片手で持つハンドル
片手で肩を抱いて
愛してるって言ってもきこえない
風が強くて

町の灯が やがてまたたきだす
2人して流星になったみたい

中央フリーウェイ
右に見える競馬場
左はビール工場
この道はまるで滑走路
夜空に続く

中央フリーウェイ
初めて会った頃は 毎日ドライブしたのに
このごろは ちょっと冷いね
送りもせずに

町の灯が やがてまたたきだす
二人して 流星になったみたい
中央フリーウェイ
右に見える競馬場 左はビール工場
この道は まるで滑走路
夜空に続く



松任谷由美の「中央フリーウェイ」は、歌詞と時間帯が異なる昼間であっても、中央道を走れば必ず頭に浮かぶ。
当時の僕はバイクに乗っていて、T子とタンデムして、毎日のようにツーリングしていたが、まだ高速道路の2人乗りが禁止であった時代で、高速道路を2人でドライブしたことはなかった。

「ここ、夜に走っても気持ちいいんでしょうね」

とT子が呟いたので、同じ歌を思い浮かべていたのかもしれない。

「東京の高速道路は、どこを走っても夜景が綺麗だよね」

首都高速の狭さと対照的であるだけに、中央道の解放感は際立っている。
「この道はまるで滑走路」とは、空港リムジンバスに乗る2人に相応しいと思うけれども、窓外を流れ行く景色を楽しそうに見入っているT子の姿に、そろそろ車を買おうかな、と思う。

「中央フリーウェイ」の歌詞にある「調布基地」とは、かつて米軍の基地だった調布飛行場で、木立ちの合間に管制塔らしき建物が覗くだけであるが、「右に見える競馬場 左はビール工場」と歌われている府中競馬場とサントリーのビール工場は、競馬観戦用の8階建ての「フジビュースタンド」と7階建ての「メモリアルスタンド」、そして「SUNTORY」のロゴが掲げられた白亜の巨大な建物の全貌が、はっきりと目に入る。



国立府中ICを過ぎて、多摩川を渡り、住宅や大学の建物が建ち並ぶ丘陵が目立つようになれば、間もなく八王子ICである。
バスが減速して本線を離れたのは、国道16号線八王子バイパスと直結して平成3年に増設された第1出口で、その数百メートル先にある従来の出口は、第2出口となっていた。
平野の真っ只中にあるそれまでのインターチェンジに比べると、丘を削って設けられている八王子ICは鄙びた印象が強く、はるばる遠くまで来たものだ、という感覚になる。

八王子バイパスの道端には建物がひしめいているけれども、緑豊かな稲荷坂で丘を越えて、浅川橋を渡る市街地の手前の車窓が、僕は好きだった。
バスは、大和田町4丁目交差点で立体交差する国道20号線・甲州街道へと右折し、ひしめく車の波に揉まれるように、京王八王子駅のバスターミナルに向かった。


八王子の街は、冷たい雨の中だった。
リムジンバスを降りた僕らが足を向けたのは、京王八王子駅に程近い路地にある、もんじゃ焼き屋である。

昭和40年生まれの僕も、1歳年上のT子も、小学校と中学校の昼食は給食だった。
当時の学校給食は素朴の一言に尽き、主食は食パンに、ビニール製の小袋から絞り出すバターやイチゴジャムをつけ、週に1回程度は揚げパンやコッペパンが出された。
副食が2~3皿、そして飲み物は牛乳と決まっていて、巨大な金属製のバケツに入った牛乳が教室に運ばれて、給食当番の生徒が マスクをつけて白衣を羽織り、1杯ずつ銀色の金属カップによそっていた。

誰もが楽しみにしていたのは、毎週土曜日に供される「ソフト麺」である。
湯で温めたのか、クシャクシャになって湿り気を帯びた透明の袋に包まれた一塊の真っ白な太麺を、金属のカップに盛られた具入りのミートソースやカレーソースに浸けて食べるのだが、これが無性に美味しく感じられて、給食の時間になると、どうして「ソフト麺」が他の曜日に出ないのか、早く土曜日にならないかな、と思ったものだった。

僕の小学校は、高学年になる頃に、週1回、御飯が出されるようになったけれども、それまでは小麦製品ばかりのメニューだった訳で、我が国で米が余っているにも関わらず、輸入先の米国に気兼ねしているのではないか、などと陰口を叩かれたのもむべなるかな、である。


ネットで得た情報だったと思うのだが、昔の学校給食のメニューを出す店が八王子にある、と小耳にはさんだ僕は、矢も盾も堪らなくなって、こうして出掛けて来たのである。
「給食のおばさんカフェ」と店名を変え、昭和の小学校を再現する内装になったのは、平成20年前後と聞いているが、僕らが訪れた時は、普通のもんじゃ焼き屋であった。
店主が、もんじゃ焼きばかりでなく駄菓子の販売を始めたことをきっかけに、おそらく僕らと同じ世代が家族で訪れるようになったのだろう、客層が広がったので、給食のメニューも加えてみたという推移らしい。

もんじゃ焼きに限らず、飲み屋やお好み焼き屋など、夜が主体となっている店におけるランチタイムの営業は珍しくないものの、どこか粗削りで殺風景な印象がある。
照明や壁、カーテンなどの色彩が、夜に映えるように造られているからであろうか、足を踏み入れると、化粧を落とした女性と向かい合っているような侘しさが込み上げてきて、若干のたじろぎを覚える。


それでも、テーブルについてメニューを開けば、そのような違和感は瞬く間に吹き飛んだ。

「これこれ、これが食べたかったんだ。ソフト麺!」

と、僕は思わず子供のようなはしゃぎ声を上げた。

「懐かしいですね」
「君は何にする?」
「あなたはソフト麺なんですね。食べてみたいけど、2人で同じものを頼んでもつまらないですよね」
「幾つかの種類を頼んで、少しずつ分けようよ」
「じゃあ、私は揚げパン」
「飲み物は何かあるのかなあ……うわ、この『ミルメークコーヒー』って、延岡の学校でも出た?」
「牛乳に混ぜて飲む粉のコーヒーですか。ありましたねえ。凄く甘いんじゃなかったです?」
「僕の学校のミルメークは、オレンジ色のパッケージだった気がする」
「よく覚えてますね」


「あと、僕らの時代の給食と言えば、やっぱりクジラじゃない?」
「そうでした。クジラ食べるの、今ほどうるさくなかったですものね」
「クジラ、このメニューでは竜田揚げになってる。あれって、竜田揚げだったっけ?」
「さあ、あまり覚えていないんですけど」
「竜田揚げって、カラッと揚げた感じだよね?給食で出てきたクジラの肉料理は、もっとドロッとしたあんかけみたいだった覚えがあるんだけど」
「甘露煮みたいな?」
「分かんない。マックのチキンタツタみたいな味付けだったら、絶対に違うと思う」
「まあ、クジラはこれしかなさそうですし、頼んでみたらどうです?」


もんじゃを焼く鉄板が剥き出しになったテーブルで、牛乳に溶かした「ミルメークコーヒー」を飲み飲み、並べられたソフト麺や揚げパンにかぶりつくのは、なかなか妙な体験であった。

「ミルメークコーヒー」を混ぜる牛乳が瓶入りだったのと、給食で定番だった先が割れているスプーンがなくてフォークだったのが、ちょっぴり物足りなかったけれども、ビニール袋を破って取り出したソフト麺が、固まっていてほぐすのに苦労したり、揚げパンの表面にまぶしてある砂糖がさらりとしてベタつきが少なかったり、30年ぶりに味わう学校給食メニューは、こよなく懐かしい演出だった。
クジラの竜田揚げは、記憶とまるで異なっている料理だったが、僕が思い違いをしているのかもしれず、何よりも噛んだ歯ごたえや口の中に染み渡る風味は、間違いなく懐かしいクジラそのものだった。


ただ、僕とT子の思い入れに若干の温度差があるような気がして、多少気になっている。
TDLやサンリオピューロランドを訪れた時のように、打てば響く弾んだ反応ではない。
もしかすると、小学生時代にあまり良い思い出がないのかもしれないし、もしくは、数年前に2人で映画館で観た「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!大人帝国の逆襲」の影響かもしれない、と思ったりする。

「昔は良かった。昔が一番」

と思わせる匂いを撒き、大人たちの心を虜にする首謀者が現れ、ハーメルンの笛吹きよろしく、町から大人を連れ去ってしまう物語である。



「昭和の匂い」で大人たちに暗示をかけていた首謀者の目的は、「汚い金」や「燃えないゴミ」ばかりが溢れる21世紀の日本を憂い、人々が「心を持って生きていた」20世紀への逆戻りであり、春日部に「20世紀博」を設立し、その中の東京タワーから匂いを振りまいて、大人たちを洗脳したのである。
「20世紀博」は、大人たちが育った70年代のテレビ番組や映画、そして暮らしなどを再現した懐かしさ溢れるテーマ・パークだった。
大人たちは、しんちゃんをはじめ子供たちをそっちのけにして、「20世紀博」にのめり込んでいく。

お台場のデックスに「台場一丁目商店街」が出来たり、横浜ラーメン博物館が昭和30年代の街並みを再現していたり、昭和への回帰を売り物とする企画があちこちに見受けられたのは、この頃ではなかったか。
昭和30年代の東京を舞台とする西岸良平の漫画が原作の映画「ALWAYS 三丁目の夕日」が公開されたのは、この旅の3年後の平成17年で、当時の我が国には、大人たちの懐古趣味をターゲットにした商品の企画が少なくなかった。

しかし、過ぎ去った時代への過剰な憧憬や逃避は、現在の人生に何ら生産的なものを生み出さないのではないか、と子供向けの作品でありながら、大いに考えさせられた映画だった。



「どう?給食の感想は?」

と、僕はおそるおそる聞いてみた。

「人って、懐かしさだけで満足できるんですね」
「どういうこと?」
「だって、冷静に考えれば、学校給食って、決して美味しくはないじゃないですか」
「そう言われればそうだね。きっと、安い材料で作っていただろうからなあ。家の御飯の方がよほど旨かった」
「でも、美味しくはないけれど、食べに来て良かったって思えるこの感覚、不思議ですよね」
「来て良かったって思ってくれたんだ。安心した」
「え?私、そんなつまらなそうに見えました?」
「いや、そうじゃないけど」
「メニュー見ただけで、私、何だか胸がいっぱいになっちゃって」
「へえ」
「子供の頃って、どんなに楽しかったとしても、絶対に戻れないじゃないですか。でも、こういう戻り方があったんだって思えば、連れて来てくれたあなたに感謝です」


JUDY AND MARYが歌う「そばかす」に、

思い出はいつも綺麗だけど
それだけじゃお腹がすくわ

という一節があるけれど、思い出と食べ物を掛け合わせて商品にしたこの店の学校給食メニューは、掛け値なしに称賛に値すると思う。
僕らをわざわざ八王子まで引き寄せる力があるのだから、懐古趣味、恐るべしであろう。


その後、僕とT子は、雨に煙る八王子の街を散策して時間を潰した。

八王子と言えば、僕は、昭和60年に発表された高橋克彦の伝奇小説「総門谷」を思い出す。
柳田国男の「遠野物語」で知られる岩手県の早池峰山周辺に勃発したUFO騒動に端を発し、世に知られる様々な怪奇現象を織り混ぜながら、地球の支配をたくらむ「総門谷」の一味と、特殊能力を持つ主人公の若者とその家族・友人たちとの対決を描いた壮大なスケールの物語である。
文庫本で800ページに及ぶ長編を、一気呵成に読破するほど引き込まれたもので、荒唐無稽な展開かつ悲劇的な結末でありながらも、主人公を取り囲む登場人物の爽やかな言動に、心地よい読後感を覚えた。

人目を忍ぶ存在だったはずの「総門谷」の巨大な飛行物体が、いきなり制御不能になって八王子駅前のデパートに突っ込む場面から、物語は佳境に入っていくのだが、飛行物体が墜落した原因が明らかにされた時の衝撃は、未だに新鮮であった。

『顕たちが八王子の駅から飛びでた瞬間のことである。
激しい振動が大地を揺るがした。
3人は反動で前に転げた。
顕は咄嗟にSデパートの方角に目をやった。

「やられた!やっぱり中島が狙われたんだ」

真っ暗な噴煙が空を覆っている。
目の前にあるSデパートの中腹に巨大なUFOが突き刺さっているのが見えた。
ちょうど中島と待ち合わせていた6階部分だ。

「こんなバカなことがあるかよ!」

唖然として工藤は空に燻っているUFOを見上げていた』


Sデパートとは、平成24年に京王百貨店に改装されるまで営業していた、そごう百貨店のことであろう。
主人公たちが友人の中島と待ち合わせていた同デパートの6階は、「うまいピザを食わせる店がある」という理由で選んだので、JR八王子駅で壮麗なビルを見上げれば、ここにUFOが突っ込んだのか、と想像が逞しくなる。

「今も、ピザの美味しい店ってあるんでしょうか」

と、僕の「総門谷」の話を微笑しながら聞いていたT子が言う。

「どうなんだろう。覗いてみる?」
「いいですよ。もうピザなんてお腹に入りませんし、今日は給食を食べに来たんですから、それだけで充分です」


僕らは中央線の上り電車を立川駅で乗り捨てて、羽田空港行きのリムジンバスで帰路についた。
もう1本、未乗のリムジンバスを片付けてしまおう、という魂胆であるが、T子に夜の中央道を見せたかったのも確かであり、立川駅を18時頃に発車する便を選んだ。

冬の短い日はとっくに暮れなずみ、鮮やかな照明が無数に連なる中央道は、まさに滑走路のように周囲の夜景から浮き出ていた。
窓外を食い入るように見つめていたT子が、ふと呟いた。

「『アラジン』を思い出しました」
「『アラジン』?この間、一緒に観たアニメ?」
「そう、魔法の絨毯で夜空を飛ぶ場面がとても良かったですよね。夜の高速バスって、魔法の絨毯みたい」

「千一夜物語」を原作とするディズニーのアニメ「アラジン」が公開されたのは平成4年であるから、この旅から10年も前になる。
ディズニー映画でも指折りとなった大ヒットを受けて、平成26年にブロードウェイのミュージカルになり、翌年に劇団四季が日本語版ミュージカルを上演、令和元年にウィル・スミス主演の実写版映画も公開された。


アラジンとジャスミン姫が魔法の絨毯で夜空を旅する場面で、2人が歌う「A Whole New World」は、作品によって歌詞が若干異なるのだが、アニメの日本語吹き替え版の歌詞は次の通りであった。

見せてあげよう 輝く世界
プリンセス 自由の花をほら
目を開いて この広い世界を
魔法の絨毯に 身を任せ
大空 雲は美しく
誰も僕ら引き止め 縛りはしない
 
大空 目が眩むけれど
ときめく胸 初めて
あなた見せてくれたの
素晴らしい 世界を
素敵すぎて 信じられない
きらめく星は ダイヤモンド

A Whole New World
目を開いて 初めての世界
恐がらないで
流れ星は 不思議な夢に満ちているのね
 
素敵な星の海を 新しい世界
どうぞこのまま 2人きりで
明日を 一緒に見つめよう
このまま 2人が
素敵な世界を 見つめて
あなたと いつまでも


T子の言葉を聞いて、中央線の快速電車より時間は掛かるけれども、帰りもバスにして良かった、と思う。
何度も高速バスに乗りながら、魔法の絨毯に例えるような発想が浮かんだことはなかったけれども、T子の感性は、ユーミンに勝るとも劣らないのではないだろうか。
2人の小学生時代まで30年の時を遡り、また「中央フリーウェイ」「総門谷」「アラジン」と幾つもの物語に思いを巡らせた日帰りのバス旅に、僕は大いに満足していたが、T子も同様だといいな、と思う。

星の海のように街の灯が散りばめられたハイウェイを、羽田空港行きのリムジンバスは、滑るように空を舞う絨毯のように、闇を突いて走り続けた。

 

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