昼過ぎの上り駒ヶ根行の80系普通電車。1978年までは戦前車2両の運用であった。
昼間は概略1時間に1本程度は運転があったが、1226M豊橋行、240M飯田行、そして
この242M駒ヶ根行、1228M豊橋行、のため、飯田から先は1226Mと1228Mの間は
3時間ほど空くことになる。区間運転の電車は結構多かった。
雲一つ見られない快晴の中、クハ86の先頭にもよく陽があっていて好ましい。
よく見ると、先頭の助手席窓下手摺と運転席窓下手摺について、影の長さが異なる。
先頭の形状に角度があるために見られる現象であるが、結構見えることもあるよう。
この時は3日間ともよく晴れてくれて、走行撮影が出来て嬉しい状況であった。
本当はもう少し朝早くの早朝の撮影から開始したかったが、以下1)日程で困難。
というのも、このころの夜は信州ワイド周遊券をフルに使用で、経費節減対応。
1)撮影後に、松本等に移動で夕食、その後は以下(信州ワイド)
松本2139→きそ3・803M→2240長野
長野2320→きそ6・802レ→245木曽福島248→きそ7・801レ→405松本
松本510→424M→603辰野628→226M→(伊那福岡行)
・木曽福島では対面乗換でOKであるが、寝過ごしは厳禁、プレッシャー大
・大糸線は朝から入れるため、飯田線と大糸線を掛け持ちの時は、
新宿からの夜行を早朝辰野で降りる=飯田線が初日、2日目が大糸線
2)5月や7月8月では、以下も実施(信州ワイド)
南小谷2202→松本2359→アルプス18・418M→057上諏訪
上諏訪316→アルプス15・415M→402辰野
辰野429→(222M)→飯田/豊橋行、あるいは辰野447→(1222M)→豊橋行
・上諏訪駅は当時夜行が複数運転のため、待合室は閉鎖ではなかった。
ただし冬場は寒そうであるため避けた経緯→1)
3)青春18切符の場合は、以下
松本2110→442M→154初鹿野218→441M→557上諏訪
・朝の行動開始が少し遅くなる点が問題、経費では一番安い
なかなか悲惨な日程で、撮影優先+経費削減の極限を実施、宿泊費は削減対象。
駅寝は、有人駅は待合室閉鎖、無人駅はセキュリティーと寒さでなるべく避けていた。
なお同行者も当然のように同じ意識。茅野駅より上諏訪駅が良いとか話をした記憶。
今は夜行きそも441M/442Mも廃止、仮に存在したとしても実施は無理でしょうね。
若い時しかできない過酷な日程ばかりの、42年前の日程再現でした。
時刻表 1981/12(画像の242M)
1980/07(1と2の日程の時刻) 1983/03(3の日程の時刻)