一睡の夢:国鉄末期の12年

40年ほど前の国鉄時代の記録

飯田線80系普通電車6

1982/03/10 飯田線 伊那松島/沢、242M 駒ヶ根行、80系

 昼過ぎの上り駒ヶ根行の80系普通電車。1978年までは戦前車2両の運用であった。

昼間は概略1時間に1本程度は運転があったが、1226M豊橋行、240M飯田行、そして

この242M駒ヶ根行、1228M豊橋行、のため、飯田から先は1226Mと1228Mの間は

3時間ほど空くことになる。区間運転の電車は結構多かった。

 雲一つ見られない快晴の中、クハ86の先頭にもよく陽があっていて好ましい。

よく見ると、先頭の助手席窓下手摺と運転席窓下手摺について、影の長さが異なる。

先頭の形状に角度があるために見られる現象であるが、結構見えることもあるよう。

 

 この時は3日間ともよく晴れてくれて、走行撮影が出来て嬉しい状況であった。

本当はもう少し朝早くの早朝の撮影から開始したかったが、以下1)日程で困難。

というのも、このころの夜は信州ワイド周遊券をフルに使用で、経費節減対応。

 

 1)撮影後に、松本等に移動で夕食、その後は以下(信州ワイド)

   松本2139→きそ3・803M→2240長野

   長野2320→きそ6・802レ→245木曽福島248→きそ7・801レ→405松本

   松本510→424M→603辰野628→226M→(伊那福岡行)

    ・木曽福島では対面乗換でOKであるが、寝過ごしは厳禁、プレッシャー大

    ・大糸線は朝から入れるため、飯田線大糸線を掛け持ちの時は、

       新宿からの夜行を早朝辰野で降りる=飯田線が初日、2日目が大糸線

 2)5月や7月8月では、以下も実施(信州ワイド)

   南小谷2202→松本2359→アルプス18・418M→057上諏訪

   上諏訪316→アルプス15・415M→402辰野

   辰野429→(222M)→飯田/豊橋行、あるいは辰野447→(1222M)→豊橋

    ・上諏訪駅は当時夜行が複数運転のため、待合室は閉鎖ではなかった。

      ただし冬場は寒そうであるため避けた経緯→1)

 3)青春18切符の場合は、以下

   松本2110→442M→154初鹿野218→441M→557上諏訪

   上諏訪631→辰野705→232M→中部天竜

    ・朝の行動開始が少し遅くなる点が問題、経費では一番安い

 

 なかなか悲惨な日程で、撮影優先+経費削減の極限を実施、宿泊費は削減対象。

駅寝は、有人駅は待合室閉鎖、無人駅はセキュリティーと寒さでなるべく避けていた。

なお同行者も当然のように同じ意識。茅野駅より上諏訪駅が良いとか話をした記憶。

今は夜行きそも441M/442Mも廃止、仮に存在したとしても実施は無理でしょうね。

若い時しかできない過酷な日程ばかりの、42年前の日程再現でした。

 

  参考:飯田線の旧型国電(増補版)

     時刻表 1981/12(画像の242M)

         1980/07(1と2の日程の時刻) 1983/03(3の日程の時刻)