今月16日のダイヤ改正で北陸新幹線金沢敦賀間が開業。そして同区間の北陸線が経営分離された。
北陸線はもちろん、米原敦賀間で残り続けるが近畿地方のJRネットワークの東端の敦賀までとなると北陸に直結する路線ではなくなる。敦賀は福井県にあり北陸地方・中部地方の都市という扱いであるが行政区分や公営競技の地区区分では近畿地方として扱う場合もあり、敦賀など嶺南地方は明治時代にはほんのわずかな期間とはいえ滋賀県の一部だったくらいだし、敦賀どまりの北陸線は近畿地方の一路線となったという認識でいいだろう。
これはもちろん旅客列車の話であって、貨物列車は敦賀以遠の3セクとともに日本海縦貫線のネットワークを形成しているが。
北陸線は敦賀どまりになって、旅客列車は敦賀までしか行かなくなりJR路線図だけを見ると北陸を貫く本線格の路線ではなくもはや東海道線の支線のような存在になった。
これはまるで明治時代に先祖返りしたようなものだ。
実際に、長浜駅はのちの東海道線になる区間のうち中山道ルートと敦賀方面への路線をつなぐ駅だった。米原ー長浜ー敦賀間は東海道線だった時代があった。
北陸線は東海道線の一部だった時代のある一番古い区間が最後まで残ったのである。この区間は今や米原敦賀間相互のみを乗車する客よりもJR西日本の新快速や名古屋から直通の「しらさぎ」の乗客が主な客層となり、東海道線の延長のようなものだろう。
ただ明治時代と違うのは複線電化したことはさることながら、木ノ本以北のルートが違うこと。柳ケ瀬経由から近江塩津経由となり、湖西線からの直通列車を受け入れていることで湖西線の特急や新快速も結局京都線と呼ばれる東海道線大阪口からの直通列車なので、こう考えるとなおさら独立性のある本線らしい本線というより東海道線の枝線のようだと言える。
北陸の在来線は確かに新幹線開業と3セク移管で分断されたと言えるが、それでも一番歴史の古い区間がJR線で残った。北陸新幹線と東海道新幹線でアクセスし米原敦賀間の沿線へ周遊観光する観光客の誘致に力を入れるべきだろう。明治以来の鉄道遺産が豊富で景色もよく、それでいて特急が表定速度90km/h以上で走れる主要幹線らしい複線電化の近代的な路線なのでとても魅力的な区間が北陸線として残ったと言える。
ところで末端区間廃止後の日高線は営業キロ30.5kmで日本一短い本線として売り出しているが、北陸線は営業キロ45.9kmとなりJR西日本等本州会社の「本線」のなかでは一番短い。本線なのに短いというのを売りにできないものか?