陰陽連絡の一翼を担ったキハ181系特急「おき」

山陽新幹線に接続する小郡(現新山口)から山口線を通って、山陰本線の米子、鳥取まで走った特急「おき」(現「スーパーおき」)。キハ181系気動車の短い編成だったが、陰陽連絡列車としての役割は大きかった。

小郡発着の「おき」は1975(昭和50)年3月、新幹線の博多開業に合わせて登場した。列車名は日本海に浮かぶ隠岐島から命名されたものだが、もちろん同島とは直接関係はなく、九州、山口と山陰地方西部の各都市を結ぶのが役割だった。

小郡駅で発車を待つキハ181系特急「おき」。昭和
50年代は文字タイプのヘッドマークだった=1984年

国鉄時代には、関門トンネルをくぐって博多や小倉に直接乗り入れる特急「まつかぜ」(後の「いそかぜ」)や急行「さんべ」も陰陽連絡を一翼を担っていたが、所要時間の面では新幹線に接続する「おき」が有利だった。

84年のダイヤを見ると、特急「まつかぜ4号」が博多8時12分発、出雲市14時33分着だったのに対し、「ひかり114号」(博多7時56分発)から「おき2号」(小郡9時5分発)に乗り継ぐと、出雲市には1時間半早い13時3分に着いた。

急行「さんべ4号」(小倉14時26分発)と比べると、同列車が出雲市21時着、松江22時着なのに対し、ひかり120号(小倉14時28分発)と「おき6号」(小郡15時8分発)を組み合わせると、出雲市19時7分着、松江19時42分着と、その差はずいぶん開いた。

85年3月ダイヤ改正を機に隠岐島を描いたイラ
スト入りマークに変更。武骨なキハ181系と穏や
かな雰囲気の対比が新鮮だった=小郡、1987年

そんな陰陽連絡特急「おき」は鉄道ファンにも、特に山陽側に住む者にとっては山陰側の「窓口」になってくれた存在だった。

小学生時代の私も「おき」に乗って山陰地方に出かけたことで、ディーゼル気動車や非電化区間への興味が広がった。

キハ181系の武骨な前面デザイン、力強いエンジン音、排煙で黒っぽくなった車体はスマートな電車にはない魅力があり、車内放送で初めて聴いた「アルプスの牧場」のオルゴールも、優しい曲調で心地良かった。

「おき」はその列車名から日本海沿いを走る姿が最も
似合っていたが、個人的にはSLやまぐち号の合間に
山間部で撮ることも多かった=宮野—仁保、2001年

キハ181系「おき」は85年3月から隠岐島を描いたイラストマークに変わり、ようやく「隠岐島」をイメージしやすくなった。一方で年月がたつにつれ命名の由来から離れ、山口線を走る陰陽連絡特急自体の名前として定着していったように思う。

キハ181系は2001年に撤退し、その役割はキハ187系が「スーパーおき」の列車名となって引き継ぎ、四半世紀にわたって活躍を続けている。

「おき」「スーパーおき」は全国的に見れば華のないローカル特急で、山口線内では観光列車・SLやまぐち号の存在に埋もれがちだが、山陰地方西部では特急ネットワークの一翼を担う大きな存在だ。その歴史はまもなく半世紀を迎える。

bonuloco
東海道・山陽線の寝台特急に親しんだ元ブルトレ少年です。子どもの頃から手作り新聞を発行するなど「書き鉄」をしてきました。現在はブログ執筆を中心に活動し、ファンの視点から見た小さな鉄道史を発表しています。
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