EF66-100 / 宮島口駅にて
宮島口駅で過去に撮影した、国鉄近郊形電車 115系をUPします。
トワイライトエクスプレス瑞風の宮島観光終了に伴う、宮島口駅停車中止を記念しての記事再編″宮島口の選り抜き写真第三弾″です。
この再編については、3月14日の RedWing-227系 / 宮島口駅にて で説明しています。
厳島神社 大鳥居と20系ブルートレイン 特急安芸をデザインしたアイコンは、この度の再編記事である標しです。
日本国有鉄道が廃止され、7社の鉄道事業者が創立されて、国の資産だった鉄道網を継承して開業したのが、今のJRグループです。
便宜上、国鉄分割民営化と言われていますが、国鉄を民営化した訳ではなく、JR7社を立ち上げさせて、それまで国の事業だった鉄道を、民間会社のJR7社へ引き継がせた訳ですが。
その際に国鉄時代の初期の新性能機関車を多く引き継いだJR貨物では、置き換えと増発用に国鉄型機関車を増備しました。
その内の1つが、EF66形 100番台です。
性能的には国鉄機 EF66形をベースに近代化した機関車ですが、技術的にはEF66形とEF210形の中間に位置し、次世代機関車の過渡期となる高性能機です。
近年は廃車が進みつつあるEF66-100番台ですが、2018年に発生した平成30年豪雨災害までは、EF66-0番台と共にEF200形やEF210形と共通運用が組まれていました。
平成30年豪雨災害は当初、平成30年西日本豪雨災害と呼ばれ、広島県は隣県である山口県・島根県・鳥取県・岡山県と、鉄道も道路も崩落してしまい日本のどことも、長期間に渡って繋がっていなかった時期がありました。
鉄道が復旧し関西圏や首都圏そして九州から貨物列車が走って来るようになると、セノハチ以西はEF210形とEF200形に統一されてしまいました。
今日の写真は2016年6月に、トワイライトエクスプレスが宮島口駅へ初停車する日に、駅の周辺で撮影したEF66形です。
さて、EF66-100番台はJRが造った国鉄機と言うことで、私のブログでは国鉄機と客車列車に分類しています。
RedWing-227系・EF210形・115系と、写真の片隅に意識的ではあるのですが、途切れた引き込み線が写っています。
線路がまだホームまで繋がっていた時代に、貨物取扱が廃止となった後に、用途廃車になった20系客車 ナハネフ22 + ナハネ20 が留置されてしまいました。
今回、アイコンを20系ブルートレインにしたのは、私のイメージの中で宮島口駅 = 20系客車が忘れられずにいるが故だったりします。
では最後に簡略ではありますが••••••••1935(昭和10)年11月に呉線が全通すると、呉鎮守府と対岸に海軍士官学校があることから、特急列車に準ずる急行列車″7•8列車″が運行されることになりました。
当時、一等寝台車と洋食堂車そして展望車を連結した列車は、東京~下関間を走る″特急富士″のみでしたが、呉線急行7•8列車はそれに準じて、一等寝台車 + 洋食堂車 + 展望車を含む唯一の編成でした。
戦争末期には優等列車が全て運休または廃止されているので、直接の前身列車とはなりませんが、戦後の早期に設定された呉線急行は1950(昭和25)年11月に急行安芸と命名され、1975(昭和50)年3月からは寝台特急 ブルートレインの仲間入りをしました。
さて神社の後ろを走っているブルートレインの写真ですが、厳島神社外宮 地御前神社本殿と、東海道 山陽本線 最後のブルートレイン = 特急富士 はやぶさです。
━JRF EF66 宮島口駅より抜き━
━ Miyajima Station Trains ━