四国の客レに乗る前に津山線 | 旅一郎のブログ

旅一郎のブログ

国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします

前回四国は高徳本線のキハ40に行った時、高松駅到着時に1M3Tの列車を見たので今回はそれに乗ります。

列車は高松夕方なので昼過ぎに出ても間に合うけれど、18きっぷなのでキハ40系列を楽しもうと津山線を往復することにしました。姫路駅から播州赤穂行き(相生から山陽本線岡山行き接続)は入線前からかなりの列でびっくりしました。

播州赤穂行きは6両ですが、相生からの岡山行きは半分の3両なのでカオスになるかもしれない。


なお、YouTubeサムネイル詐欺でよく国鉄時代を「カオスな列車」と揶揄していますが、僕に言わせると今の乗り換えばっかりのズタズタダイヤ、短編成の方がよっぽどカオスだ


これまでは18キッパーばかり皺寄せがあったので肉屋を応援する豚も貧乏人を叩けるということで嬉々として叩いていたけれど、今改正で誕生した敦賀市民マラソン大会は新幹線の客も強制参加なので困っているのではないか。これをカオスと言わず何をカオスというのだろうか。

途中山陽本線の相生ー岡山は3両の短編成かつ毎時1本という超緊縮ダイヤとなっているため混雑は必至。

13:56 折り返し津山行きとなる津山発岡山行き普通列車が到着。多くの客が降ります。

津山行きはボックス1〜2人くらいか。同区間の快速「ことぶき」よりは空いているように思う。

14:06津山行きは岡山を後にしました。

普通列車に期待してなかったので弁当は折り返しの快速「ことぶき」で食べるつもりでしたが、法界院から空いてきたのでここで食べることにします。

法界院を出ると山に分け入り、旭川沿いにルートを取る。

3分停車。

空いてきたので他の乗客の迷惑にならない一番後ろの窓を開けてみました。

ダイレクトに聞こえるジョイント音や土地の匂いに「昔はこうだったな」と豊かな気持ちになりました。


昨今の何をするにも「マナーが」と言われ何もできなくなっていますが、実のところ「窓開け」は鉄道旅情の重要な要素ではないかと考えています。


なぜなら乗るのに躊躇するようなクルーズトレインやわざわざ風を楽しむ為に別料金を払う必要のあるイベント列車が存在するからです。


鉄道会社は外気に触れる事が「お金になる」と気づいたのでしょう。


同様にボックスシートに足を乗せるな、というのも「脚を乗せられるのはグリーン券を払った人のみ」という事だろうし、車内飲食も在来線はおろか新幹線の普通車からも車内販売が消えたことから、近い将来、「車内飲食はグリーン車のみ」となることは明らかだろう。


何を馬鹿なことを!と思う人もいるでしょう。

しかし国鉄民営化から30年以上の変化を見てきたものからすると、

車内飲食は普通列車→優等列車→新幹線と限定的になっていく流れを見ているので次はグリーン車のみというのは必然に思えます。


窓開けも在来線普通列車→「風を感じるイベント列車」になったし、後部展望も旧客→クルーズトレインになった。


車窓すらUVガラスでまともに見えない事を考えると、将来は景色を見るのはグリーン車、またはクルーズトレインのみ。

在来線乞食が景色見たい?ww!となることは明らかだろう。

主のいないボックスシート。

国鉄ではあたりまえだった「余裕」、または「溜め」

「座席足りて礼節を知る」ごとく、余裕のない席数が客同士の諍いを作り出している。

交換の国鉄急行色キハ47

寝ぼけていたのでタイムスリップしたのかと思ってしまった。

間も無く津山。色々考える旅だった。

戻りはキハ40のノスタルジー仕様。小さいながらもテーブルがあるので急行気分が味わえる。

当時を知らない人もこんな小さなテーブルでも豊かな気持ちにさせてくれることを実感するだろう。

国鉄時代は当たり前だったんだけどね。

編成が長く余裕があった国鉄時代はこれくらいの混み具合はごくあたりまえだった。

首都圏色と連結されるとよりリアルに見える。